気候変動や自然災害、SNS上で顕著な分断と格差、そしてパンデミック。地球も人も、とにかく疲弊しきっている。これからの時代を生き抜く処方箋を手に入れるべく、三人の哲学者の言葉に耳を傾ける。第3回は、社会における「食客/パラサイト」の役割に注目しているという星野 太

BY TOMONARI COTANI, PHOTOGRAPH BY KENSHU SHINTSUBO, EDITED BY JUN ISHIDA

敵でも味方でもない「曖昧な他者」の重要性
ーー 星野 太

 ツイッターを駆使して支持者を焚きつけた挙げ句、最後はアカウントの永久凍結を食らった“史上初の国家元首”ドナルド・トランプが残した爪痕、あるいは、いまだ収束を見ないコロナ禍による鬱屈としたムード......。大きくはその二つに起因するであろう分断と憎悪が、この一年で急速に深まった。心を荒廃させるばかりの負のコミュニケーションの流れを変えていくためには、いったい、社会は何を手に入れれば(あるいは何を取り戻せば)いいのだろうか? インタビューの冒頭に投げかけたそんな問いに対し、この春から東京大学大学院総合文化研究科准教授の任に就いた哲学者の星野太は、開口一番「他者をひとつの人格として尊重し、遇すること」だと説いた。

「少し保守的な言い方かもしれませんが、『人格』をもった人間としてコミュニケーションを取ることの重要性が、今日、ますます高まっている気がします」

画像: 星野太(Futoshi Hoshino) 1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は美学、表象文化論。おもな著書に『崇高の修辞学』(月曜社)、訳書にジャン=フランソワ・リオタール『崇高の分析論──カント「判断力批判」についての講義録』(法政大学出版局)などがある。本記事の「共生」に関わるものとして、現在連載中の「食客論」(『群像』2021年5月号~)がある

星野太(Futoshi Hoshino)
1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は美学、表象文化論。おもな著書に『崇高の修辞学』(月曜社)、訳書にジャン=フランソワ・リオタール『崇高の分析論──カント「判断力批判」についての講義録』(法政大学出版局)などがある。本記事の「共生」に関わるものとして、現在連載中の「食客論」(『群像』2021年5月号~)がある

 近年は、あるひとつの人格を解体し、いろいろな「自分」をいろいろな場面で使い分ける分人主義的な価値観が流布したが、結果的にその価値観――端的に言えば「SNS上での自分」という切り分け方――が今の状況につながっているのだとすれば、人格をもったまとまりとしての人間性」の回復が不可欠であり、そのためには「冗長なコミュニケーションを取り戻すこと」が重要だと星野は考えている。

「今は、PCやスマホのディスプレイに踊る比較的短いフレーズによって他者を扇動したり共感を得たりするような、人の感情にダイレクトに訴えかけるコミュニケーションが活発です。そうしたものをいかにキャンセルしていくかが、これからの時代、ひときわ重要になってきます。論理ではなく情動に訴えかけるような言葉からはなるべく距離を取りつつ、批判的な視点を確保するためには、記事の概要が3行にまとめられた見出しや、読了まで〇分といったことをことさら強調する記事ではなく、冗長なもの――たとえば小説や詩のように、さしあたって必要じゃないものを読む機会を増やすことが大切だと思っています」

 それは、情報を合理化/効率化してきた近年のプロセスを逆回転させることにほかならないが、その対象には、「情報」のみならず「身体」も含まれていると星野は指摘する。
「実はこの一年間で目と腰がすごく悪くなりました。理由がわからなかったのですが、先日ふと『通勤していないからだ』と気がついたんです。私は、休憩ができないタチなんです。以前は喫煙していたのでそれがいいブレイクになっていたのですが、在宅で延々と仕事をしてしまい、からだに悪影響を及ぼしてしまいました。しばらくそのことに無自覚だったのですが、最近外に出る機会が増え、通勤するようになったことで、以前はおっくうだった通勤時間が、実は自律神経を休めるいい時間になっていたことに気づきました。世間ではコロナ禍によってさまざまな効率化が進んだと思いますが、一年ほどたち、一見無駄だったり冗長的だと判断されたものが、実は自分にとって重要な意味をもっていたことに改めて気づいた人も少なくないと想像します」

 分断と憎悪を乗り越え、多様性を許容する社会へと向かっていくための手がかりとして、星野は「人格」に続き、「曖昧さ」というキーワードも掲げる。多様性、つまりは「自分と思想的にまったく相容れない人が“ただそこにいる”」ことを認めるのが理想的な共生だとするならば、そのために必要なのが「曖昧さ」ではないかと星野は言う。

「主義主張や思想とか、気が合わない人って当然いるわけです。いるのだけれど、その人は同じコミュニティの中にいてもいいというか、いるということをお互い認める。別に仲よくなる必要はありません。『自分と仲の悪いやつが存在している、それが社会っていうものでしょ』という曖昧な意識を成熟させることが大切だと思います」

 その曖昧さの例として、いま星野が注目しているのが食客の存在だ。英語で言うならparasite(パラサイト)。敵でも味方でもない、曖昧な他者である「食客/パラサイト」という存在は、西洋の古典喜劇であれば狂言回しのような役割として、日本であれば任俠映画の渡世人のような役割として描かれてきた。

「任俠映画に登場する渡世人は、各地域のヤクザコミュニティにご厄介になり、一宿一飯の恩に報いるべく、何かコトが起これば闘い、去っていくという存在です。なぜそうした食客に興味をもったかというと、コミュニティに完全には包摂されない、けれども敵でもないという曖昧な存在のあり方を考察することが、これからの社会においてとても重要ではないかと直観したからです。曖昧な存在について連想を膨らませていった結果、『食事をともにする』というある種の共同性が意味的に含まれる食客という存在に行きあたったんです」

 原始的なコミュニティにおいては、おそらく、共同で狩りをし、一緒に食事をすることが、共同体を形成するにあたって大きな役割を果たしたはずだ。逆に言えば、食事をともにしない者は敵であるといった、内と外を分ける境界線に食卓がなっていたのかもしれない。

「おそらくインターネット上でのコミュニケーションは、今後、課金システムによってどんどんゲートを設けることで、自衛措置を取っていくのだろうと想像します。そのとき、コミュニティに包摂されない曖昧な他者は、知識や文化をつなぐ重要な役割を担うはずです。その存在を許容する寛容さを、社会は持ち合わせていく必要があると思います」

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