世界的なピアニストフジコ・ヘミングの最後の4年間を見つめた映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」が10月18日から全国で公開される。長年にわたって親交を深め、本作の監督を務めた小松莊一良がフジコ・ヘミングへの思いを語る

BY SHION YAMASHITA

画像: ©SPINTOKYO Inc.

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──フジコ・ヘミングさんとの出会いとドキュメンタリー作品を創ることになったきっかけについて教えてください。

小松莊一良(以下小松) 僕はミュージシャンやストリートダンサーのミュージックビデオの制作などに携わってきた中で、ドキュメンタリー作品を手がけるようになりました。フジコ・ヘミングさんと出会ったのは、頑張る女性をテーマにしたミニドキュメンタリーのテレビ番組で取材させていただいたときでした。お互いに相性が良かったのだと思いますが、最初からふたりでずっと話し込んだのを覚えています。
 フジコ・ヘミングさんといえば、1999年にNHKで放送された「ETV特集 フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」で一躍有名になりましたが、僕がお目にかかった時はそれから十数年経っていたので、フジコさんがスターになったストーリーはかなり消費されている感じがしていました。実際のフジコさんは世界中にコンサートで飛び回っていて、トップアーティストとして活動されている。僕からするとその姿がすごくチャーミングに見えたのです。昔話ではなく、目の前にいる今のフジコさんをいつか描きたいという思いが、前作の『フジコ・ヘミングの時間』(2018年)という映画を創るきっかけとなりました。

──『恋するピアニスト』は2020年のコロナ禍から2023年3月にパリで行われたコンサートまでかなり長いスパンで撮影されていますが、創作秘話をお伺いできますか?

小松 多くの方に『フジコ・ヘミングの時間』をご覧いただくことができましたし、僕が他のアーティストのドキュメンタリーを撮影していたので、実はフジコさんの次作を創る予定はありませんでした。ところが2019年にフジコさんから直々に「ドイツのマンハイムのお城でコンサートをやるから、あなた撮らない?」というお誘いがあって、フジコさんの海外のコンサートを撮影したことがなかったことから、高画質、高音質のシネマコンサートのような映像を撮ろうと考えてお引き受けることにしました。残念ながらマンハイム城からは撮影許可が下りなかったので実現しなかったのですが、それならばパリの友人たちと一緒に“自分たちでコンサートを主催しよう”ということになって、2020年3月28日にパリでコンサートを開催する予定をしていました。そのコンサートを撮ったらクランクアップすることを目標にしつつ、そのコンサートのほかにも、フジコさんのサンタモニカの暮らしを撮影して1つの作品を創ろうと考えていました。ところが、直後に世界中がパンデミックとなり、コンサートの3週間前に延期となりました。映画もクランクインしたばかりだったので、これからどうするのだろうというところから始まったんです。映画はその後の時系列通りなのですが、パリで予定していたコンサートは2023年3月にコンセルヴァトワール劇場で行うことになったので、それが終わったらクランクアップしようということになりました。4年もの間、撮影してきたので膨大な量になりました。

画像1: ©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

──本作の編集作業にはどんなお気持ちで取り組まれたのでしょうか?

小松 この作品は8か月以上かけて編集したのですが、その作業の最中にフジコさんは亡くなられました。でも、僕の中では、フジコさんは今もツアーでどこかに行っていて、いつ日本に帰ってくるのかなという気持ちでいます。それは、たとえ会えなくても思い出を胸に抱えているというフジコさんの死生観に通じるものがあるように思います。この映画の編集については、おそらく僕の人生で最も時間もかかりましたし、苦悩したと思います。編集の途中に亡くなられたことで、言葉の意味やシーンの意味が変わってしまったからなんです。単純に時系列だけで繋ぐとしても、意味合いがどんどん変わってきますし、ファンの方やお客さんに何を届けたら良いのかということを真剣に考えました。僕がフジコさんとの会話の中で常々話してきたのは、“フジコさんの存在と音楽を質の高い作品として100年後まで遺すことが僕の目的だ”ということ。僕自身がクラシック界とは違うジャンルの音楽に携わってきたので、単純にヒストリーを描くのではなく、フジコさんが僕に託したことやフジコさんの精神などを映画で伝えたいと考えました。だからこそ4年かけた成果として映画のエンディングをどうするのかということがとても大事でした。僕は号泣される映画ではなく、ポロリと涙したとしても、元気になって映画館を出て行ってほしいなという思いで作り上げました。おそらくそれは、フジコさんの願いでもある気がしています。

画像2: ©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

──フジコ・ヘミングさんが演奏される楽曲では何がお好きですか?

小松 僕が最初にフジコさんが演奏される曲で好きになったのはリストの「ため息」です。この曲は本作ではパリを紹介するシーンで使っていますが、実は前作の『フジコ・ヘミングの時間』でも通じるものがあるので、同じ使い方をしています。フジコさんに『「ため息」がすごく好きなんですよ』と話したことがあるのですが、そのとき『男の人はああいうロマンチックなのが好きよね』っておっしゃっていたのを覚えています。
 今はやっぱりドビュッシーの「月の光」も好きですね。聴いていて、心がスーッとするんです。フジコ・ヘミングといえば「ラ・カンパネラ」を思い浮かべる方も多くて、前作の時にもそれが強かったのですが、『それだけじゃないのよ。私の1番好きなのは「月の光」だったり、スローな「ノクターン」ね』とご本人もよくおっしゃるようになっていました。フジコさんは、一般的なピアニストがあまり弾かない曲であっても、その名曲をどれくらい自分流に歌うように弾くかということを考えていた方だと思います。それはロックにも通じるものがあると思っていて、「ラ・カンパネラ」が彼女の代名詞になっていますが、それだけではないことを伝えたかったです。

──監督が知るフジコ・ヘミングさんを言葉にしていただけますでしょうか?

小松 フジコさんにとって、“生きることは演奏すること”だったと思います。生き様そのものがロックになっている人がいるのと同じように、弾き続けることを何よりも大切にしていました。彼女が南の島でぽかぽかしたいみたいな発言を聴いたことは一度もなかったです(笑)。とにかくお客さんへの思いに溢れていました。ちょっとでも手を抜くとお客さんはいなくなるし、スポーツ選手と一緒で少しでも休むと戻るのに時間がかかるからと言って、毎日約4時間の練習を欠かすことはありませんでした。表現者として、ファンの方には見えない努力を続けている方でした。
 フジコさんにとってピアニストになることは子どもの頃に抱いた夢でしたが、実際にコンサートで演奏するようになってから集客に苦労された時代があったようです。無名だとチケットを買ってとお願いして嫌がられ、有名になった途端、チケットがないのかと問われる。そんな世間の変わり目に直面した経験があって、それを知ったからこそ、毎回ソールドアウトを続ける“ピアニスト”を最後まで続けていく予定だったのだと思います 。来年、再来年はこうしようという夢を先々まで持っていました。
 また、動物との関係も素敵でした。小さい頃から猫とか犬が好きだったようで、それに関してもドライなところが面白いと思いました。彼女が飼っていたのは保護猫が多かったので、元々栄養不足や病気で寿命が短いこともあるのですが、実際に具合が悪くなっても『もうすぐ死ぬわね』と淡々としていて、僕の前では少しクールに振る舞っていました。それは彼女の死生観でもありますが、天国で再会できるという考えを持っているからだと思います。 死んだことを悲しんだり、嘆いたりしないのは、思い出を胸に抱えながら、ひとりぼっちではない気持ちで生きていたのかなと想像しています。

画像3: ©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

──『恋するピアニスト』というタイトルに込めたお気持ちをお聞かせください。

小松 フジコさんは心が“永遠の16歳”で、“ときめき”がこの方の原点だという気がしています。戦争を経験し、シングルマザーの母の苦労を目の当たりにし、耳を患ったり、ドイツではお金や食べ物に困ったり、いろいろな意味で自分の中のコンプレックスと向き合って来た人だと思います。だからこそ着る服を自分に似合うようにリメイクしたり、自分の周囲3メートル以内にお人形や写真など、好きなものを集めて、レイアウトにもこだわり、そうやって自分だけの世界観を創ることで、 孤独から自分を守っていたように思います。
 僕から見たフジコさんに多面性がある中で1番きれいなのは、少女のようにときめく心を汚さないようにしているところで、それを言葉にすると恋するということなのかと思って名付けました。新しいもの好きで、他の人と違うことに誇りを持つフジコさん。そんな「恋するピアニスト」であることがフジコさんの何よりの魅力だと思います。

画像4: ©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

©️2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

小松莊一良(SOICHIRO KOMATSU)
ロサンゼルス生まれ。広島県呉市で育つ。吉川晃司、HYDE、東京スカパラダイスオーケストラ、藤あや子、ケイティ・ペリーなどの映像やステージなどを監督として手がけた作品は多数。2018年に安室奈美恵の引退ライブ作品の監督を務め、音楽映像史上初の累積売上170万枚の記録的ヒットの一助となる。2024年、新しい学校のリーダーズの初武道館ライブ映像で第14回オリジナル番組アワードにて総合グランプリと中継部門・最優秀賞を受賞。フジコ・ヘミングの映像やコンサートの演出も長年手掛け、企画・監督したドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018年/日活)が異例のロングランヒットとなり、海外にも公開が広がった。大阪芸術大学 映像学科 客員教授も務める

映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」(2024年/東映ビデオ, WOWOWエンタテインメント)が10月18日より新宿ピカデリーほかで全国ロードショー
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