BY KIMIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
サントリーワインインターナショナル・吉雄敬子さん
眼下に広がるのは甲府盆地。晴れた日は、青い山並みの向こうに富士山が見える。「登美の丘ワイナリー」のブドウ畑を歩きながら、サントリーワインインターナショナル代表取締役社長の吉雄敬子が言う。「素晴らしい景色でしょう? 自由な往来が可能になったら、ブドウを育むこの地を多くの方々に見ていただきたいと思っています」
吉雄の就任は今年1月のこと。男性中心の酒販業界において、大企業に初の女性社長が誕生したことは大きなニュースとなった。就任後、ワインと向き合うなかで「ワイン造りはブドウ作りが大切。そして人の思いや技術がそれを支える」ということを改めて認識したという。栽培技術や品質向上の支援を担う“栽培スペシャリスト”を社内で任命、各産地の栽培家と互いの知見やノウハウを共有し、よりよいブドウ作りに注力する。「日本ワイン全体を底上げしたい」という思いからだ。
「今、津軽でソーヴィニヨン・ブランを栽培していますが、このワインからはほのかにリンゴの香りがするのです」。それぞれの土地から醸し出される個性は、大きな魅力だと語る。「ワインは生活に潤いを与えてくれる飲み物だと思います。ワインには歴史があり、文化的な奥行きがある。それが会話の糸口となり、豊かなコミュニケーションが生まれます。一方で、ワインは難しいというイメージを変えていきたい。おおらかに、自由にワインを楽しんでいただける提案を、これからしていきたいと思っています」
問い合わせ先
サントリー登美の丘ワイナリー
住所:山梨県甲斐市大垈(おおぬた)2786
電話:0551(28)7311
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タケダワイナリー・岸平典子さん
畑のどこからか“ギュギュギュ”とキジの鳴き声が聞こえる。「キジは、汚染のないきれいな土地にしか棲めないそうです。うちのワインのラベルにはキジが描かれていますが、これは先代の社長、父のアイデア。この自然を守り続けようという“誓い”のようなものですね」と、タケダワイナリー代表取締役社長兼栽培醸造責任者の岸平典子が話す。頭上をトンビがのびやかに飛び交う。足もとの土はふかふかで、シロツメクサやカラスノエンドウが生い茂る。これらの植物はブドウの木の根に窒素を固定するので化学肥料いらず。カラスノエンドウはアブラムシの好物で、ブドウの芽をその害から守る。時折てんとう虫も現れる。豊かな生態系が息づく里山の風景がここにある。
岸平のブドウ作りは、ビオディナミに基づく減農薬栽培だ。大学卒業後、渡仏してワイン造りを学んだ。「ワイン造りは面白い。これは一生をかけて取り組める仕事だ」とのめりこんだ。そのままフランスに残ることも考えたが、おそらく自分は異邦人のままであろうと思った。そんな葛藤を抱えていたとき、日本から送られてきたのが、父の新作のファーストヴィンテージ「シャトー・タケダ ルージュ 1990」だった。「仲間とともにワインを開けたとき、上山の風景がふと浮かび上がりました。上山は自分が育った、肌で理解できる土地。ワインを造るなら上山だ。日本へ帰ろう、と決心しました」
帰国後、予想しなかった困難が待っていた。家業に携わり、フランスで学んだやり方を実践したところ、父や叔父から猛反対されたのだ。だが、岸平は自身が信じることを黙々とやり続けた。ワインの品質は明らかに向上し、その結果が周囲を納得させた。以降、岸平はワイン業界初の女性社長兼醸造家として、日本ワインを牽引するひとりとなった。
今、岸平は上質な山形産ブドウを使ったワイン造りに注力している。近隣農家からもブドウを購入しているが、大切にしているのは信頼関係だ。父の代から続く契約農家とのつながりは強く、だからこそ約束は確実に守る。基準に満たないブドウには意見するが、優れたものにはこちらから高値を提案する。本音で誠実に向き合ってきた。その絆の証しのひとつが山形の名産・デラウェアで造る「タケダワイナリー サン・スフル 白(発泡)」だ。山形はデラウェアの収穫量が日本一。故郷の誇りもワインに込められている。
問い合わせ先
タケダワイナリー
住所:山形県上山市四ツ谷2-6-1
電話:023(672)0040
公式サイト
中央葡萄酒・三澤彩奈さん
「聞こえるのは鳥の声と風の音。ここにいると、穏やかな気持ちになれるんです」。山梨県・明野にある三澤農場のブドウ畑で、中央葡萄酒取締役兼栽培醸造責任者の三澤彩奈が言う。まだ認証こそ取っていないが、2016年から有機栽培を実践しているという畑は見渡す限り、よく手入れが行き届いている。
三澤は生まれ故郷が産する“甲州”に深い愛情を抱いている。元来、香りが立たないといわれた品種だが、三澤は試行錯誤を重ね、優雅な味わいを創り出してきた。2014年、権威あるワイン品評会「デキャンタ ワールドワインアワード」において「キュヴェ三澤 明野甲州 2013」が日本ワイン初の金賞を受賞。“甲州”が世界に認められたのだ。三澤は“日本ワインのホープ”と評されるように。近年ではグローバルなコンクールの審査員を務めたり、シンポジウムに参加することも多くなった。
だが、コロナ禍によってその日常は変わった。時間を得た三澤は自身の足もとを深く見つめ直した。そして「この地でしか生まれない、自分にしか造れないワインを造ろう」と決意する。その品種はやはり“甲州”。「明野の“甲州”にはキリリとした酸味があるのです。それを生かし、土着酵母を使い、より複雑な味わいのワインを造りたいと思っています」
一方で、中央葡萄酒は今年、ECモールからの撤退を決めた。販売効率を重視するだけでは、多種多様なワインの魅力は伝えきれない。家飲み需要が増えるなか、ワインの生命である“個性”をお客さまに丁寧に伝えてくれる飲食店も、ワイナリーにとって大切な存在だ。「お世話になっている飲食店を、ささやかながらも、できることで応援したいと思っています」
今、三澤の楽しみは、SNSで世界各地の同業の友人たちと会話をすることだ。家業を継ぎ、模索しながら道を拓いてきた三澤にとって、同じ立場の彼らの存在は大きい。「重責や葛藤を深く理解しあえる友の奮闘ぶりは、自身の励みになります」
問い合わせ先
中央葡萄酒
住所:山梨県甲州市勝沼町等々力173
電話:0553(44)1230
公式サイト
ココ・ファーム・ワイナリー・池上知恵子さん
「微生物、植物、動物、人。いろいろな命の力を借りてワインは造られる。ブドウは光合成で糖を作り、酵母がブドウをワインにしてくれる。栽培農家さん、飲食店、ワインを楽しんでくださる人たちの存在がなければワインを造ることはできない。あらゆる生きとし生けるもののおかげで私たちは生きている。そんなふうに感じています」。鈴をふるような声でココ・ファーム・ワイナリー専務取締役の池上知恵子は語り、微笑んだ。
山の急斜面にブドウ畑を開墾したのは、栃木県足利市の特殊学級(当時)の中学生と教員だった池上の父・川田昇。1950年代のことだ。1969年、知的障がい者支援施設「こころみ学園」がスタート。園生の心身を健やかに育むためにブドウや原木椎茸の栽培を行う。“やがては園生たちの自立の一助になるように”と、学園の考え方に賛同する父母たちの出資により、1980年「ココ・ファーム・ワイナリー」が設立された。
当時、東京の出版社に勤務し、仕事と育児に明け暮れる日々を送っていた池上は、父がワイン造りに着手したと聞き、「学生になれば8時間続けて眠れる!」と東京農業大学を受験した。「これが見込み違い。実験などで目の回る忙しさだったの」と笑う。1984年、果実酒製造免許を取得し、ワインを造り始めた。「行き当たりばったりで、目の前のことに必死で取り組んできただけ」と本人は言うが、その奮闘ぶりを見守ってきた周囲に導かれるかたちで、いつしかワイナリーを率いる立場に。
ここのワイン造りのモットーは「ブドウがなりたいワインになれるように」である。気候変動に対応した“適地適品種”のブドウを植え、野生酵母を中心に醸す。畑には有名品種のほか、ノートンなどのマイナー品種も植えられている。適地で育つブドウは強い生命力をもつ。そのブドウ本来の潜在力を引き出すのが野生酵母だ。醸造場では極力手を加えず、だが万全の体制で発酵を見守る。限りなくピュアで生命力に満ちたその味わいにファンは多く、国際線のファーストクラスほかサミットの晩餐会にもたびたび用いられ、国内外で高く評価されている。
「父は『消えてなくなるものにこそ渾身の力を注げ』と言っていました」。その言葉は、池上の胸に強く残っている。
もうひとつ、池上の記憶に残る父の言葉がある。ある日、誰もいないブドウ畑をぶらぶらしている園生がいた。池上が父に「草取りとか、何かやってもらう?」と聞くと、父は「彼は風に吹かれる係だから、いいんだよ」と言った。その年の秋、近隣の多くの畑がカラスの害を被ったのだが、その畑は難を逃れた。「彼が時に声を上げつつ、歩き回っていたおかげ。存在すること、そこにいてくれることが彼の仕事。ここはみながあるがままに生き生きと暮らせる場であり続けたいと思っています」
互いを認めあい、許しあう。そのためにも、ゆるやかさや、やわらかさが世の中にあることは大切だと池上は感じている。
コロナ禍以前は毎年収穫祭が催され、大勢が集い、ともに祝った。音楽が奏でられ、みなほろ酔いで歌い、踊り、笑いあった。「芸術や音楽と同じく、ワインは人生を輝かせるものだと思います。喜びを分かちあい、悲しみにそっと寄り添う。私たちのワインは、そういうものでありたい」
問い合わせ先
ココ・ファーム・ワイナリー
住所:栃木県足利市田島町611
電話:0284(42)1194
公式サイト
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