BY MIKA KITAMURA,PHOTOGRAPHS BY MASAHIRO GODA
ここから始まる物語。
初代総料理長ワイルの教えを今に継ぐ「ホテルニューグランド」

「シーフードドリア」¥3,289。なめらかな口あたりのベシャメルソースは、今もワイルの時代と変わらない調理法で作られている。澄ましバターを使い、モスリンの布にソースを入れて、ふたりがかりでこす。「熱くて大変なのですが、この手間ひまがおいしさにつながります」と総料理長の関口真司。
窓の向こうに港が見える。客船を眺めていると、アツアツのひと皿が運ばれてきた。ここの名物「シーフードドリア」である。スプーンですくうと、なめらかな2 色のソースがマーブル状にとろけあう。うま味をたたえたプリプリの海老と帆立。バターのふくよかな香り漂うライス。こっくりとクリーミーでいて食後感は軽やかだ。誰もが好きな洋食メニュー「ドリア」は、昭和初期にこの横浜「ホテルニューグランド」で生まれた。考案したのは初代総料理長のスイス人、サリー・ワイル(1897-1976)。パリの一流ホテルの料理長を経て1927年に来日した。

ワイルは第二次世界大戦中に軽井沢に強制移住、戦後はスイスに帰国した。1956年、弟子たちに招かれ再来日。この写真はその際「ホテルニューグランド」の中庭で撮影されたもの。この再来日をきっかけに、日本人の個人的な海外渡航が制限されていた時代に、ワイルが窓口になることで、料理人の海外修業が実現。そこで腕を磨いた料理人たちが1970年代の日本にフレンチブームを起こした。
ワイルは先進の調理法とサービススタイルを持ち込んだ。まず、一品料理(アラカルト)をメニューに載せたのだ。「今では普通のことですが、当時、西洋料理は限られた富裕層のもので、ほぼコースのみで供していました。格式重視の西洋料理を、ワイルは"気軽で楽しいもの" に変えた。革命的だったと思います」と現・総料理長の関口真司は言う。
また、ワイルはメニュー表に「コック長は此のメニュ以外の如何なる料理にても御用命に應じます」という一文も記させた。ドリアは「体調がよくないので、喉越しのよいものを」というゲストの要望に応じ、ワイルが即興で作ったものだ。まさに、ゲストを思いやる気持ちから生まれた料理だった。

「スパゲッティ ナポリタン」¥2,340。ホテルがGHQ将校の宿舎として接収されていた時期、ワイルの直弟子である二代目総料理長・入江茂忠がワイルのレシピにあった副菜「スパゲチ ナポリテーイン」をヒントに考案。生のトマトを用いたフレッシュなソースと、一晩"ゆでおき"し、もちもち感を出したスパゲッティをからめたホテルならではの味。

「プリン・ア・ラ・モード」¥2,024。GHQ将校夫人たちのために考案したというこちらが元祖。アイスクリームまで今もすべて自家製。
ワイルの味とサービスは評判を呼び、大勢のゲストのみならず西洋料理を学びたい料理人もこのホテルへ押し寄せた。ワイルは約20年間、その技と心を弟子たちに注ぎ込む。帰国してからも日本の若き料理人の修業先の面倒を見て「スイス・パパ」と慕われた。ワイルが直接育てた小野正吉、馬場久や留学の世話をした井上旭のぼる、根岸規雄らがその後の日本のフランス料理界を発展させ、美食大国の礎を築いた。

二代目総料理長の入江に憧れて入社したという、六代目総料理長・関口。
昨春、ワイルの名を冠したホテル直営ショップ「S.Weil by HOTEL NEW GRAND」がオープンした。看板商品「モカルーロ」は、ワイルのもとでベーカリーシェフを務めた大谷長吉が神田に開いた洋菓子店「エスワイル」(2011年閉店)のレシピを受け継ぐもの。息子の大谷龍一は「父が働いたホテルにレシピを引き継ぐのは幸せなこと」と、何度も試作に応じたそうだ。ワイルがもたらした味が約100年の時を経て里に帰り、新たによみがえる。

「モカルーロ」¥3,456。焼き込んだ薄い生地とバタークリームをきっちり巻き上げる。

「ホテルニューグランド」のコーヒーハウス「ザ・カフェ」内。
コーヒーハウス「ザ・カフェ」
住所:神奈川県横浜市中区山下町10番地 ホテルニューグランド 本館1階
TEL.045-681-1841
https://www.hotel-newgrand.co.jp/the-cafe
S.Weil by HOTEL NEW GRAND
住所:神奈川県横浜市中区山下町31-7 グランドメゾン山下公園1階
TEL.045-681-1841
https://www.hotel-newgrand.co.jp/s_weil
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