豊かな風土に彩られた日本には、独自の「地方カルチャー」が存在する。そんな“ローカルトレジャー”を、クリエイティブ・ディレクターの樺澤貴子が探す本連載で今回旅したのは熱海。相模湾を望む起伏に富んだ独特の景勝に惹かれ、多くの文人墨客が別荘を構えた場所だ。何気なく過ぎゆく日々の暮らしに豊かなエッセンスをもたらす骨董店と一棟貸しのヴィラを訪ねた

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

画像: 気取りがないのに毅然とした佇まいを感じる茶盃

気取りがないのに毅然とした佇まいを感じる茶盃


《BUY》「湖心亭」
一煎の茶と道具が教えてくれる“只今”

画像: 中国茶の世界では、茶を介した人との繋がりを“茶縁”と呼ぶ。名刺がわりの挨拶に一煎のお茶が振舞われた

中国茶の世界では、茶を介した人との繋がりを“茶縁”と呼ぶ。名刺がわりの挨拶に一煎のお茶が振舞われた

 初めて訪れる骨董の店、目にする物すべてが美しく感じられ、高揚感でソワソワとする。騒ぐ心を鎮めてくれたのは、「まずはお茶でも」と振る舞われた台湾の“野放し茶”であった。湯が注がれる音に意識を傾け、茶の香気に満たされ、口に含んだ清新な味わいに驚く。気儘な言葉を交わしながら幾度かお茶を啜るうちに、自然と張り詰めた意識が緩んでゆく。改めて室内を見渡すと、長い時を歩み美しい個性を携えた家具や茶道具が、午前中の冴えた陽光に浮かび上がった。

画像: 一見ランダムに置かれている小盤(そばん)だが、一点一点が確かな存在感を放つ

一見ランダムに置かれている小盤(そばん)だが、一点一点が確かな存在感を放つ

 ここ「湖心亭」は、李朝家具と中国茶にまつわる道具を扱う骨董の店。だが不思議と “古物らしからぬ” 佇まいを感じる。再びお茶を淹れはじめる店主の小田奈津子さんに道具選びで大切にしていることを伺うと、「慎ましいデザインであること、品があること、そして時を重ねてもフレッシュで古びていないものに心が導かれます」と言葉が返る。

 小田さんがこの世界に身を置いたのは、福岡で骨董店を営んでいた母方の伯母の影響による。中国本土を中心に、時には欧州、そして韓国、インドネシアやカンボジアなど、東南アジアの各国に足を運び、齢80を数えるまで道具と語らうことに情熱を注いだ女性だという。果敢に一途に好きな道を進む憧れの女性だった伯母が看板を下ろしたことを機に、「湖心亭」の扁額は小田さんの元へ受け継がれた。コロナ禍に中国茶に心酔したことも呼び水となり、週末のみ完全予約制の骨董店としてオープンさせた。

画像: 伯母から譲られたという扁額

伯母から譲られたという扁額

画像: 看板はなく、窓にひっそりと店名が綴られているだけ

看板はなく、窓にひっそりと店名が綴られているだけ

 台湾を中心に中国や韓国などお茶の祖国へ通い、玉石混淆の中から気に入ったものだけを日本へ連れ帰る。造形の魅力もさることながら、使い勝手という視点も小田さんのこだわりだと語る。「見ると使うとでは異なることもあるため、実際に使ってみて道具としての心地よさにおいても納得したものだけを店頭に置いています」。“用の美”を体現する言葉に心動かされ、思わず「今、お使いの茶船も素敵ですね」と告げると「こちらも、お譲りできます」とのこと。「茶壷でも茶盤でも建水でも、このテーブルもお気に召したらどうぞ(笑)」と、1900年初頭のフランス製のカフェカウンターを指差す。

画像: 一縷の緊張感が宿る茶道具。普段使いしてこそ、真の価値に触れられる

一縷の緊張感が宿る茶道具。普段使いしてこそ、真の価値に触れられる

画像: 民窯ならではの、どこか愛嬌のあるドット柄に趣がある「新渡染付茶盃」

民窯ならではの、どこか愛嬌のあるドット柄に趣がある「新渡染付茶盃」

「私は蒐集家ではありませんので、できるだけ道具に固執せず、お客様に豊かな道具と出合っていただきたいと思っています」と続く言葉に、店主の体裁ではない人間性と真心を受け止めた。伯母が命名した「湖心亭」という名は、中国の古い茶楼にちなんだそうだ。澱まず波風をたてない静謐な湖のような心は、小田さんにも受け継がれているのだろう。そして店を訪れる者にとっては、清澄な道具に胸高鳴る“今”この瞬間の己心(こしん)と出合える場所でもあった。

画像: 整然とならぶ道具から、己の心に語りかける道具が見つけられるだろう

整然とならぶ道具から、己の心に語りかける道具が見つけられるだろう

住所:静岡県熱海市春日町16-61-1階
メール:info@koshin-tei.com(予約制)
公式インスタグラムはこちら

《STAY》「桃乃八庵(とうのやあん)」
古今東西のアート空間で暮れゆく至福の時

画像: かつて旅館だった古の数寄屋建築の面影に、現代的な家具やアートが絶妙に調和

かつて旅館だった古の数寄屋建築の面影に、現代的な家具やアートが絶妙に調和

 真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ──とは、フランスの作家マルセル・プルーストの言葉である。ご紹介の「桃乃八庵」は、後世に受け継ぐべき日本の建築を、まさに“新たな目”で見極めデザインを施した、これまでにない一棟貸しのヴィラといえる。古民家をリノベーションした宿は数多あれども、歴史を重ねた数寄屋建築の片鱗をきちんと残しながら、圧倒的なアート空間へと変容させた稀有な空間と呼べる。
 手がけたのは、ロンドンで17年間に渡り活躍してきた、世界的なインテリア・デザイナーの澤山乃莉子さんだ。伝統建築と古今東西のアートが交差する、格別なヴィラを「キュレーションホテル」と銘打ち、ここ「桃乃八庵」に熱海で2軒、河口湖に1軒を加え、現在は計4軒のラインナップが揃う。

画像: 左・端正な佇まいの中に、匠の技が光る玄関。右・適材適所に和洋新旧のアートの要素が散りばめられたリビング。廊下の組子障子などは旅館で使われていたまま

左・端正な佇まいの中に、匠の技が光る玄関。右・適材適所に和洋新旧のアートの要素が散りばめられたリビング。廊下の組子障子などは旅館で使われていたまま

画像: オーナーでありインテリアデザイナーの澤山乃莉子さんと、施設の名前の由来にもなった愛犬の桃

オーナーでありインテリアデザイナーの澤山乃莉子さんと、施設の名前の由来にもなった愛犬の桃

 キュレーションホテルの第1号となる「桃乃八庵」が誕生したのは2018年。当時築85年だった、かつて旅館として息づいていた数寄屋造りの伝統建築に心惹かれ、解体寸前のところを掬い上げた。ロンドンでも歴史的な建造物にモダンな命を宿すデザインを多く手がけていたため、まずは建物の特性を見極め、“修繕”と“改修”を絶妙に構築。今では再現が不可能な匠の技を丁寧に磨き上げ、国境を超えたアートピースや家具や照明を、コンセプチュアルに配置。用の美が息づく日本文化を再発見する場へと変容させた。

画像: ダイニングキッチンのアイランドカウンターは、越前和紙を20ミリのアクリル板に立体的に埋め込んだ作品。木枠四方から照明で照らし幻想的な雰囲気を演出

ダイニングキッチンのアイランドカウンターは、越前和紙を20ミリのアクリル板に立体的に埋め込んだ作品。木枠四方から照明で照らし幻想的な雰囲気を演出

画像: ベッドルームは計3室、6人が宿泊できる

ベッドルームは計3室、6人が宿泊できる

 さらに、夕食には事前予約にて熱海のシェフに出張サービスをお願いすることもできる。地元の海鮮を中心に用いたフルコースの懐石のフィナーレを飾るのは、目の前で握られる握り寿司だ。器の準備から片付けに至るまで全てを手がけてくれるため、完全にプライベートな空間で心ゆくまで美食に酔いしれることが叶う。おりしも取材に訪れた際は台風が迫る夜だったが、古き良き懐かしさと革新の溶け合う時空を旅した心は、不思議と穏やかに満たされていた。

 そういえば、冒頭のプルーストの『失われた時を求めて』では、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味が不意に蘇った幼少期の記憶を引き出し、壮大なストーリーへと発展する。「桃乃八庵」で味わった滋味豊かな創作料理は、この先の未来にどんな物語を綴るのだろう。そう思わずにはいられない一夜となった。

画像: 目にも鮮やかな創作を凝らした逸品の数々

目にも鮮やかな創作を凝らした逸品の数々

画像: 地の魚を、その場でさばき握っていただけるパフォーマンスも高揚感を誘う

地の魚を、その場でさばき握っていただけるパフォーマンスも高揚感を誘う

住所:静岡県熱海市春日町(住所の詳細は予約後に連絡)
電話:0557-86-5005
公式サイトはこちら

画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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