BY MASANOBU MATSUMOTO
日本では約20年ぶりとなるアンリ・マティスの回顧展。若き日の作品から晩年の大作まで約150点――とりわけマティスの芸術家人生の転機につくられた作品が、要所に展示されているのが特徴だ。
マティスは、1869年、織物の産地で知られる北仏ル・カトー・カンブレジ生まれ。パリで法律を学び、故郷で法律家の見習いとして働いたあと、画家を志してふたたびパリに出る。パリでは、アカデミージュリアン(私立美術学校)で、当時人気だったサロン画家ウィリアム・ブークローに学び、またギュスターヴ・モローのアトリエで制作しながら、念願だったエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)へ入学する。このころ、ルーブル美術館に通っては、古典絵画の模写にも勤しみ、ゴッホや印象主義の作品にも触れた。
本展のはじめに展示されている《読書する女性》は、マティスがエコール・デ・ボザールへの入学が認められた年に描かれたものだ。“学びの時期”の作品だが、国民美術協会展で発表され、フランスの大統領夫人マダム・フェリックス・フォールに買い上げられたマティスの若き日の代表作である。
画風を大きく更新するきっかけになったのは、新印象派の中心人物ポール・シャニックとの出会い。本展で日本初公開となる《豪奢、静寂、逸楽》は、新印象派の作家たちが論理的に展開しようとした「筆触分割(絵の具を混ぜずに、異なる純粋色を小さな筆のタッチで置いていく描き方)」をベースに描かれたものだが(ちなみに、《豪奢、静寂、逸楽》は、シャニックが買い取った)、こうした実践が、大胆な筆致で、見えるものではなく感情や心のうごきを色彩で表現しようとする、マティスの代名詞「フォービスム」に結実する。
その後、画面の単純化(あるいは複雑化)、線と面と空間の関係など、さまざな問題意識を持ち、ラディカルな展開をみせるマティスだが、第一次世界大戦、第二次世界大戦による世情も、作家の人生を大きく揺さぶった。第一次世界大戦によって、画家仲間や画廊との関わりは希薄になり、またに兵役に志願したが採用されず、パリから南仏コリウールに拠点を移したマティス。そこで描いた《コリウールのフランス窓》は、バルコニーの窓の向こうが真っ黒に覆われ、マティスの心のうちを暗示しているようだ。
第二次世界大戦中は、空爆を逃れるため、南仏ヴァンスに住まいを移し、そこで「ヴァンス室内画」シリーズと呼ばれる最後の油絵連作に挑む。本展で紹介している《赤の大きな室内》は、その最後の作品で、実質マティスが描いた最後のオイルペインティングになる。
マティスが精力的に取り組んだ、彫刻や切り紙絵、本のための挿絵なども本展の見どころだ。とくに、色紙(時に絵の具を塗った紙も使った)をハサミで切り、色そのものを手にしながら、自由に構成できる切り紙絵は、「フォーヴィスム」の絵画と同じくらいマティスにとって重要なものであり、《ダンス》のような壁画の仕事、あるいはマティスが最晩年に手がけ、自身も集大成と謳った、ヴァンスの「ロザリオ礼拝堂」のプロジェクトにもつながっていく。家具や装飾、典礼用の上祭服など、空間全体を担当したマティスだったが、そのステンドグラスの下絵は、切り紙絵でつくられた。
本展では、資料を通じてこの「ロザリオ礼拝堂」をつまびらかにしているが、とくに礼拝堂の内部を写した撮りおろしの映像は、色彩や空間の問題、また生命力や喜びを絵に投影しようとしたマティスの密かな企てが垣間見られて、興味深い。映像が捉えるのは礼拝堂内の一日。早朝、青、黄、緑のステンドグラスを通った光が、真っ白い礼拝堂の空間を染め、そして日の光の動きともに、色の影が生を受けたように室内を動きだす。日が沈むと色の影は消えてしまうのだが今度は、教会の室内には明かりが灯され、ステンドグラスから外に溢れる光が、闇夜の中のひとつのともしびとなって、街をやさしく照らすのである。
『マティス展』
@東京都美術館
開催中。8月20日まで。
*日時指定予約制
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