アメリカと日本を行き来しながら、各地で都市的建築物を手がける建築家の重松象平。コロナ禍を受け、新たな都市づくりが議論される中で、重松が考察するこれからの都市と建築の可能性とは?

BY KEI WAKABAYASHI, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI, EDITED BY JUN ISHIDA

「頼まれていない空間をつくる」。そんな言葉を建築家の重松象平はインタビュー中に何度か口にした。それは、今、建築家の仕事に課せられている困難を、的確に指し示した言葉のように思える。その根底には、重要だけれども見すごされがちな認識がある。

 重松は、「Office for Metropolitan Architecture」という名称にも表れているように、世界各地で都市的建築物を手がける建築事務所OMAのNY事務所を率いる。コロナ禍の中、拠点とするニューヨークを離れ、東京に長期滞在せざるを得なくなった重松は、ポスト・コロナの都市と建築のありようが盛んに議論される状況に、やや辟易(へきえき)としながら次のように語った。「そもそも都市と建築は対極にあったと思いませんか? 建築に比べて都市にはコントロールできない自由度があったはずなんです」

画像: 重松象平(SHOHEI SHIGEMATSU) 1973年福岡県生まれ。OMA(Office for Metropolitan Architecture)パートナーおよびNY事務所代表。1998年OMA入所、2006年NY事務所代表に就任。2008年よりパートナーとなる。担当した主なプロジェクトに中国中央電視台新社屋、コーネル大学建築芸術学部新校舎など。写真は、内装デザインを手がけた「森ビルアーバンラボ」にて。都市と東京の未来を考えるための森ビルの研究施設で、巨大な都市模型が設置されている

重松象平(SHOHEI SHIGEMATSU)
1973年福岡県生まれ。OMA(Office for Metropolitan Architecture)パートナーおよびNY事務所代表。1998年OMA入所、2006年NY事務所代表に就任。2008年よりパートナーとなる。担当した主なプロジェクトに中国中央電視台新社屋、コーネル大学建築芸術学部新校舎など。写真は、内装デザインを手がけた「森ビルアーバンラボ」にて。都市と東京の未来を考えるための森ビルの研究施設で、巨大な都市模型が設置されている

 言われてみれば、「都市づくり」という言葉が聞かれるようになったのはいつ頃からなのだろうか。都市開発と建築の設計は、いつからかニアリーイコールなものとなり、建築をつくる作法でもって「都市」をつくることは可能であるとする考え方が、いつの間にか当たり前のものとなった。そして、自分も含め世間の多くは、そのことをあまり深く考えることはなかった。「今の建築は、高度な市場経済を反映して効率至上主義に陥っているといえます。結果、各プログラムの精度(註:用途から決まってくる必要面積や高さなどのプログラムの諸条件)が上がりすぎて設計の自由度が低くなっている。言い換えると建築空間の多様性が失われてきているわけです。建築単体では百歩譲って仕方なくそれを受け入れるとしても、都市は常にその対極となる大きな受け皿として自由度が高いことが魅力でした。でも残念ながら今の都市は、同じような内容の開発や、AI、ビッグデータ、自動運転などで制御過多になってきていると思うのです」

 計画主義とでもいうべきものの隘路(あいろ)が、ここにはある。すべては計画可能で、プログラマブルであるという考え方は、20世紀的なアイデアとして反省、再考されていたはずだが、デジタルテクノロジーの普及は別のかたちで、計画主義を甦らせているのかもしれない。もちろん建築は、アプリを扱うようにはつくれない。建築は制作のタイムスパンが長く、一度最終案が決まってからは修正を加えていくようなこともできない。「計画」は不可避である。そうした計画性を「都市」というものに適用すること自体が本当に可能なのかは、一考すべき余地がある。

「都市づくり」という言葉が孕(はら)む矛盾

 都市というものを自己生成的なものとして考え、そこに生きる人たちの習慣や規範が無意識に積み上がって、あるかたちをなすものだとみなすのであれば、「都市づくり」という言葉は、すでに自己矛盾を孕んでいるように思える。都市を過度にプログラミングすることは、都市を建築化してしまうことでもある。しかし、その一方で、建物の機能、役割や合目的性が、なし崩し的に意味を失いつつあるという現象もある。オフィスはオフィス、住居は住居、商業施設は商業施設と明確に切り分けられていた都市の物理空間は、たとえばコワーキングスペースやAirbnb、あるいはポップアップストアやフードトラックといったものによって、融通無碍(ゆうずうむげ)に変化するものとなっている。建物は、もはや合目的的な機能によって定義されることはなく、そこを使う人たちの意向や欲望によって、自己生成的に姿を変えていくことにもなる。こうした状況は、建築が都市化していることの表れと見ることもできるだろう。

画像: 「Facebookウィロー・キャンパス」の都市計画(アメリカ・カリフォルニア州)。住宅、小売店、オフィスに加え、地元住民も使える公園や学校などを併設し、地域密着型のコミュニティを創出 © OMANY

「Facebookウィロー・キャンパス」の都市計画(アメリカ・カリフォルニア州)。住宅、小売店、オフィスに加え、地元住民も使える公園や学校などを併設し、地域密着型のコミュニティを創出
© OMANY

「美術館の仕事をいくつか進めていますが、美術館で起きている構造的な問題は、たとえばこういうことです。まず、美術館にとって最も大事だと考えられるギャラリースペースの面積は、全体として見ると、この何十年間でほとんど増えていません。その一方で、コンテンツとなるコレクションはものすごいスピードで増えています。また、教育プログラムやイベントなど、コミュニティエンゲージメントに関わるプログラムもかなりの勢いで増えている。つまり、美術館自体が単に『アートを鑑賞する空間』であることからはみ出して、アートを媒介とした『学びの場』でもあり『コミュニティ空間』でもあるようなものに変わってきているのです。そのパラダイムシフトに気づかず従来型の美術館を設計してもニーズに応えられません。そこにはギャラリー以外に、キュレーターがより自由に企画を実現できたり、来館者がさまざまな使い方をできる余剰空間が必要なんです」

 都市化し、より自己生成的な空間であることを求め始めた建築を、どうデザインするのか。あるいは、建築化しながら、より管理的であることに向かい始めた都市を、どうデザインするのか。建築と都市のトレードオフは、コインの裏表となって建築家に難しい綱渡りを要求する。そこで、冒頭の言葉に戻ることとなる。建築家として、合目的性や機能性を十全に満たしながら、重松は、そこに「目的」からはみ出した「頼まれていない空間」を挿入することに意を尽くす。ニューヨーク市北部の街・バッファローで手がけている「オルブライト=ノックス美術館プロジェクト」やニューヨークの「ニューミュージアム新館」、または東京・虎ノ門に建設中の「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー(仮称)」のデザインにおいて、重松は、建物の根本的な意義としてついてまわる「機能」をコンパクトに格納しながら、積み上がったそれらの機能をつなぐ「余白」に、十分なスペースを与えながらも明確な「機能をもたせない」仕かけを埋め込んでいく。あるいは自身の故郷でもある福岡で建設中のオフィスビル「天神ビジネスセンター(仮称)」では、建物の角を一部削り取ることで、建物の内でもなく外でもない「余白」を生み出している。そしてこの「余白」こそが、建築の都市化をより促す空間となる。

画像: 既存の施設の改修と新館建築に取り組む「オルブライト=ノックス美術館プロジェクト」(アメリカ・ニューヨーク州) © OMANY

既存の施設の改修と新館建築に取り組む「オルブライト=ノックス美術館プロジェクト」(アメリカ・ニューヨーク州)
© OMANY

画像: SANAA設計による本館の隣に計画されている「ニューミュージアム新館」(アメリカ・ニューヨーク州) © OMANY

SANAA設計による本館の隣に計画されている「ニューミュージアム新館」(アメリカ・ニューヨーク州)
© OMANY

「『オルブライト=ノックス美術館プロジェクト』の場合、こうした余白の空間がガラス張りで外に面しているので、周囲の公園から内部のアクティビティが見えるようになっています。建物の中にあるプログラムされていない公共空間が、外の公共空間とつながりあう格好になるわけです。それは都市と建築をつなげる緩衝帯のような曖昧な空間で、面白いことにプログラムの精度が高いほど自然発生的に必要とされ、生まれてくる余白なのです」

超高層建築の新たな可能性とは

「建築の都市化」とも呼べるこうした趨勢(すうせい)は、最も「建築化」され管理的に編成されるに至った超高層のビルにも新しい可能性をもたらすのではないかと重松は見ている。超高層ビルは、機能主義の権化のようにみなされ、利便性と効率を最大限に価値化してきたが、本来超高層ビルは、土地が足りていない空間を積層化することで、都市を拡張させるものと考えられてきたことを重松は指摘する。

画像: 「森ビルアーバンラボ」に展示された「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー(仮称)」の模型(右端)。「虎ノ門ヒルズ駅」と直結する建物は、竣工済みの虎ノ門ヒルズの3つのビルともつながり、エリアの交通結節の拠点となる。2023年竣工予定

「森ビルアーバンラボ」に展示された「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー(仮称)」の模型(右端)。「虎ノ門ヒルズ駅」と直結する建物は、竣工済みの虎ノ門ヒルズの3つのビルともつながり、エリアの交通結節の拠点となる。2023年竣工予定

「ル・コルビュジエが『輝く都市』で提唱した理想都市は、高層化と引き換えに地上のオープンスペースを増やすものでしたが、それよりも以前の20世紀初頭のスカイスクレーパーは、土地を積み重ねて、その中に庭つきの戸建てが並ぶようなもっと素朴な土地の増幅のイメージでした。しかしいつの間にか、オフィスが入る空間としてどんどん効率化されていくことになり、そのために多様な機能をひたすら詰め込んでいくことになりました。世界的に見れば、都市人口の増加は避けられない問題であるうえに、コロナによって『密』な空間は望ましくないということになれば、今一度、都市の面積を増やしていく方策として、超高層ビルを違った角度から見直す必要があるように思います。都市がこれまで排除してきたもの、たとえば、農地やエネルギー施設として活用することも可能なはずです。実際、ドバイなどで垂直農場はすでに実現していますから、超高層ビルを都市の食料インフラとして活用する考えは、荒唐無稽なものではありません。もちろん、公園や道などの人と人が出会う公共空間を格納する場所として再定義することもできるでしょう」

 超高層ビルというタイポロジーは、せいぜいまだ100年強の歴史しかないもので、そこにはイノベートする余地がありうる。重松は、そうした発想から、建築/都市には、まだ技術的なイノベーションの余地が十分にあると考える。同時に、それをどう持続的に管理・運用することが可能か、ビジネスモデルの革新もまた必要になる。

「僕は、実験的な都市が世界中にできることには決して否定的ではないんです。ただ、いわゆる『スマートシティ』や『スーパーシティ』構想といったものには、違和感があります。なぜかというと、まず現代都市の生活や価値観において何が広義のスマートなのかが深く議論されていないからです。もしそれが経済的な指針やテクノロジーの刷新を超えて定義できるとしたら『スマート・〇〇・シティ』や『スーパー・〇〇・シティ』を構想できると思います。その『〇〇』は、『農業』でもいいでしょうし『教育』でも『文化』でもいいと思うのですが、ただのインセンティブづくりではなくオリジナリティを備えた本質的な『実験』であってほしいですね」

画像: 大規模再開発「天神ビッグバン」の中心的存在になる「天神ビジネスセンター(仮称)」(福岡県福岡市) © OMANY

大規模再開発「天神ビッグバン」の中心的存在になる「天神ビジネスセンター(仮称)」(福岡県福岡市)
© OMANY

 都市を建築のように扱うことと、建築を都市のように扱うことの二律背反の間で巧みにバランスをとりながら、それをデザインに落とし込む建築家の仕事は、すでに技術としてのデザインの範疇を大きくはみ出している。ときにはプログラミングに関与し、またあるときにはビジネスモデルの構築にも参画することとなる。「企画力」が建築家の生命線になる、と重松は言うが、それは「プログラミング過多をいかにプログラムするか」という意味での「企画力」であるはずだ。

 今回、記事を書くために4時間近いインタビューを行ったが、その録音を聞いてみると、インタビューをしているこちらが話している時間が驚くほど長いことに改めて気づく。インタビューをしているつもりが、こちらがインタビューされているのだ。インタビューという機能的な業務の中で、重松は、その行為の中の「頼まれていない領域」を探っていたのかもしれない。あらかじめプログラムされがちな「インタビュー」を生成的な「対話」へと導いてゆく重松の語り口は、「頼まれていない空間をつくる」ことを可能にする「企画力」とは、語ることの雄弁さや説得力だけではなく、まずは「観察する力」に宿ることを明かしているのではなかろうか。

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