ピアニストの内田光子が、カーネギー・ホールでのコンサートで、人生で初めて恋をした作曲家の一人、シューベルトを演奏した

BY JOSHUA BARONE, PHOTOGRAPHS BY VINCENT TULLO, TRANSLATED BY HIKARU AZUMA

「私も歳を取ったわ」―― 2018年12月に70歳を迎えた内田光子は最近そう語った。「歳を取ることの美しさは、まるで自分が世界を手に入れたかのように、言ったり行動したりできることね」。

 そして彼女は膝を叩きながら、まるでふざけた子供がするような、おなじみの茶目っ気のある声をあげて笑った。現代の、いや歴史上でもっとも素晴らしいピアニストの一人として、厳粛かつ、重厚なコンサートや音楽を通してだけ彼女を知る人が、このような一面を見たらきっと驚くだろう。
 しかし彼女の友人や仲間は、その笑い方に慣れ親しんでいる。それは彼女の卓越したテクニックや感受性と同じくらい芸術的だと言うはずだ。

画像: ピアニストの内田光子。今年の6月18日にカーネギー・ホールで、2シーズンにわたるシューベルトのソナタのプログラムの1公演を披露した

ピアニストの内田光子。今年の6月18日にカーネギー・ホールで、2シーズンにわたるシューベルトのソナタのプログラムの1公演を披露した

 そのクスクス笑いは無邪気で若々しいともいえるのだが、内田光子は自身で言うとおり歳を取ったのだ。2シーズンにわたるシューベルトのソナタのプログラムの1公演を披露するはずであった、今年の4月末のカーネギー・ホールでのコンサートは、彼女の疲労が原因で中止となった。(この公演は、6月18日に延期となった。)

 後から聞いた話によると、その公演の中止が発表されるほんの少し前に行われた、ベルリンでのコンサートの間、彼女の脳は“まるでキャベツのようだった”という。彼女は心拍に不規則な乱れを感じ、医師のすすめによりカーネギー・ホールでの公演をキャンセルして、休養のためイタリアの海岸へと向かった。そして、数日のあいだ美味しい食事を摂り、海を眺めて過ごした後、彼女は再び「人間らしく」感じることができるようになったと語っている。

 その時点では、5月4日に、再びカーネギー・ホールで行なう予定のコンサートにまだ間に合うタイミングだった。しかし彼女はその状況に満足しておらず、(実際のところ、彼女はその公演をカーネギー・ホールで披露する前に、どこか別の場所で演奏したいと思っていた)またこれから先どうなるのかも不安に思っていたのだ。

「どう演奏するか、私には決められないのです」と彼女は言う。「同業者の多くは、自分がどう演奏するかをわかっており、昨日と同じように翌日もまた演奏することができます。もしくは音楽をとても熟知していて、それをしっかりと人に伝えることができるのです。『さあ、これが今の自分。そして自分は正しい』と。私にはそれが絶対にできないのです」。
「努力はしています。“その瞬間に真実である何か”をとらえようとはしているのです」と、彼女は付け加えた。

画像: 内田光子、2016年カーネギーホールにて PHOTOGRAPH BY HIROYUKI ITO

内田光子、2016年カーネギーホールにて
PHOTOGRAPH BY HIROYUKI ITO

 5月4日の公演では、彼女の自信のなさや、疲労による苦悩の兆候を感じさせることはなかった。『ピアノ・ソナタ 第4番 イ短調 D.537』では一度もミスをせず、また『ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 D.840「レリーク」』では、痛烈なまでに瞑想的であった。そしてシューベルト生涯最後の、胸に迫るほど美しい『ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960』においては、その忍耐強い休止符が人の二面性を表し、人々に恐怖と慰めを同時に与えた。

 また、内田は、6月18日に演奏した『ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959』を含む3つのソナタと同様に、シューベルトのピアノ作品の中でもとてつもなく無謀な曲を選んだ。――それは彼女がそれらの曲を「改めて理解したかった」からだそうだ。――

「ピアノ協奏曲の場合は、自分たちがどこに向かっているのかが、事前にわかります」彼女は言った。「しかしソロの場合には、それは恐ろしく難しい。偉大な作曲家たちはいつも変化しています。私たちが日々変わっていくように、彼らも変わるのです。特にシューベルトのソナタの場合、それを演奏することによって私自身が本当に変わってきたことに気づきました」

 

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