女性たちの主張がますます(そしてやっと)注目されつつある今、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』からアントン・チェーホフの『三人姉妹』、そして映画『ファースト・ワイフ・クラブ』まで、3人の女性を題材にした物語が思わぬ反響を呼んでいる。女性たちが団結するパワフルさと同時に、集団の喧噪の中で、彼女たちが自分自身の主張に目覚めていく姿が見直されている

BY MEGAN O’GRADY, ART BY CHIOMA EBINAMA AND CHANTAL JOFFE, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 もしひとりの男性が、どんな時代であれ、役者として物語を伝える伝統的な役割を担ってきたなら、女性3人組はしばしば別の役割を与えられてきた。それは文化に潜む罠と欺瞞(ぎまん)をあぶり出すという役目だ。

 マイケル・カニンガムの小説『めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人』(1998年)では、異なる時代に生きる3人の女性登場人物たちの人生が対比するように描かれる。20世紀半ばのロサンゼルス郊外に住む専業主婦、1990年代のマンハッタンで成功した書籍編集者、そして1923年に大作『ダロウェイ夫人』を書いていた作家ヴァージニア・ウルフ。この小説の醍醐味は、3人がウルフの小説によって結びつけられるところだ(ひとりは小説の読者として、もうひとりは小説に感化された人物として、そしてもちろん小説を書いているウルフ自身として)。だが彼女たちは同時に、男女間の性愛を至上の価値観とする文化の枠にとらわれている、という点でもつながっている。だから、長年のパートナーと同棲し、レズビアンであることを公言している編集者クラリッサが登場人物中、最も幸せで、一番自己実現できているというのは、特に不思議ではない。

画像: 『無題』(2020年)。水彩と墨で紙に描いた、女性の身体の模範的な形状にインスパイアされた作品。ブルックリンを拠点とするアーティスト、チオマ・エビナマによる CHIOMA EBINAMA, “UNTITLED,” 2020, WATERCOLOR AND SUMI INK ON PAPER

『無題』(2020年)。水彩と墨で紙に描いた、女性の身体の模範的な形状にインスパイアされた作品。ブルックリンを拠点とするアーティスト、チオマ・エビナマによる
CHIOMA EBINAMA, “UNTITLED,” 2020, WATERCOLOR AND SUMI INK ON PAPER

 あれから20年以上がたっても、この感覚は社会に明確に存在しつづけている。だが、男性優位の社会構造の中で翻弄される女性たちに対して、多くのゲイ男性アーティストたちが感じる同情を形にすることで、これまでなんとかやりすごしてきたのだ。

 同じような例として、かなり離れた延長線上にあるのが、オールビーの母系社会に対する悪魔払い的な作品である『Three Tall Women』だ。この作品は2018年に、トニー賞受賞歴のあるプロダクションの製作により、ローリー・メトカーフ、グレンダ・ジャクソン、そしてアリソン・ピル主演でニューヨークで再演された。ほかには、ペドロ・アルモドバルの、3世代にわたる女性たちの連帯を描いたやさしい映画『ボルベール<帰郷>』がある。

 2006年公開のこの作品は、スペインの小さな街とマドリードが舞台となっている。『Three Tall Women』も『ボルベール〈帰郷〉』も、3人の女性を描き、どちらも最終的には3人がひとり立ちしていく。『Three Tall Women』では年老いて偏見に満ち、鬱屈した女主人が自分自身の過去にとらわれている(彼女の介護係と資産管理をする弁護士があとふたりの登場人物だ)。『ボルベール<帰郷>』では、ペネロペ・クルス演じるライムンダがまともな倫理観をもつ役で、彼女は自分の10代の娘を守るために、セックス中毒で無職の夫の死体を自宅の隣にあるレストランの冷凍庫に保管し、自力でレストランを切り盛りしている。合間に彼女の母親の肥大化した亡霊の相手もしながらそのすべてをせっせとこなしている。抑圧された環境下での、冷静で頼りがいのある女性のヒロイズムがたまらない魅力になっている。フープイヤリングをしたクルスが、首についた血痕を静かにぬぐうシーンが圧巻だ。「女の問題よね」と彼女は首をすくめながら隣人に語るのだ。オールビーもアルモドバルもある典型的な母親像をつくりだした(ひとりは苦悩に満ちた弱さのある人間として、そしてもうひとりは落ち着いていて、自力で物事を解決できるタイプとして)。そのどちらの人間像も、作者自身の孤立感と分かちがたいほど深く結びついている。

 異性愛者の男性が、女性の人生を通して自らの葛藤を描く例はあまり多くはない。だが1970年代の優れたアメリカ映画作品のひとつ、ロバート・アルトマンのプリズムのように多彩な『三人の女』では、シェリー・デュヴァルがミリー・ラモリューを演じており、この若い女性は、心の奥底に深い不安と恐れを抱きながら、表面上それを用心深く隠している。

 彼女はひっきりなしにどうでもいいことを話し続け、女性誌に載っているアドバイスの受け売りを機械的に繰り返す。彼女のお茶会風ドレスと室内用コートは、アパートの色とコーディネートされている。彼女のディナーパーティのメニューには毛布にくるまれた豚とスプレー状のチーズが出てくる。さらにシシー・スペイセク演じる、感情表現に乏しい洗練されていない同僚と仲良くなり、そこにジャニス・ルール演じるミステリアスなアーティストが和音を奏でる3つめの音色のように加わって、命を産む性としての、母性すら感じさせる女性像を表現していく。

 変幻自在に移り変わる女性のアイデンティティが、さまざまに揺れ動くこの映画の芯だ。映像では、ミリーがいつも髪や化粧を直すために自分を映す窓や鏡などの反射する素材を効果的に使っている。今の時代の私たちは、ミリーが理想の女性像として掲げ、追い求めてきたイメージがすでに崩壊していることを知っている。21世紀にミリーが生きていたらと想像するとちょっと身構えたくなる。アダプトゲン(不安やストレスへの抵抗能力を高める天然ハーブ)満載のスムージーと、予定をめいっぱい詰め込んだスケジュールと、隙がないほどキュレーションされたインスタグラムのアカウントが思い浮かぶ。そして、ミリーのミディ丈のスカートがウーバーの車のドアに挟まっている様子を想像してしまう。

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