大ヒットドラマで見せた圧倒的な演技で国民的人気を得、才気あふれるトークでバラエティでも活躍。しかしその本質は、常に“今”を全力で駆ける歌舞伎俳優。市川猿之助の情熱のありかとは

BY MARI SHIMIZU, PHOTOGRAPHS BY TADAYUKI MINAMOTO, STYLED BY TAKUMI HONDA, HAIR & MAKEUP BY YOSHITO SHIRAISHI

 2022年1月、歌舞伎座の花道上空から3 階席後方に設けられた幕の中へ、市川猿之助は“宙乗り”で引っ込んでいった。歌舞伎『義経千本桜 川連法眼館の場』で最も盛り上がる、おなじみのラストシーンだ。テレビでも生中継された初日の舞台を無事に終えた猿之助は「感無量です」と語った。その表情は、当然のことながら、ドラマ「半沢直樹」における伊佐山部長ともクイズ番組で見せる親しみやすい顔ともまるで異なっている。

画像: ジャケット¥63,800、シャツ¥35,200/Ground Y ヨウジヤマモト プレスルーム TEL. 03(5463)1500

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 2020年、新型コロナウイルスのパンデミックにより歌舞伎座は3月から7月まで休館を余儀なくされた。公演再開後の歌舞伎座で宙乗りが行われたのは、実はこれが初めてのことだった。8月の再開時は感染予防対策のため、客席収容率は50%以下、出演者もスタッフも完全に入れ替えての四部制公演。花道での演技は制限つき、少人数で距離をとるなど演出でもさまざまな変更を強いられていた。時間をかけ少しずつ緩和されてきた中で、宙乗りはようやくたどり着いた大きな一歩だった。宙をゆく猿之助を、万感の思いで見つめていたのは観客だけではなかった。通常の演出ではそのラストシーンにいないはずの登場人物たちが、舞台から猿之助を見送っていたのである。そしてその様子を目にした観客がさらに感動するという現象が起きていた。

「コロナ禍だからこその演出です。ああすることでご覧になる方はいろいろと思いを馳せるでしょうから」

画像: 今年1月、歌舞伎座で上演された『義経千本桜 川連法眼館』。猿之助が演じたのは、忠信実は源九郎狐。幕切れ、桜吹雪の中を宙乗りで消えていく姿に観客が沸いた ©SHOCHIKU

今年1月、歌舞伎座で上演された『義経千本桜 川連法眼館』。猿之助が演じたのは、忠信実は源九郎狐。幕切れ、桜吹雪の中を宙乗りで消えていく姿に観客が沸いた
©SHOCHIKU

 猿之助がこの役を演じたのは5年半ぶり。実はそこに、もうひとつ大きな意味合いがあった。2017年10月、猿之助は『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』出演中に舞台の昇降装置に衣裳を巻き込まれ、左腕開放骨折という大怪我を負った。伯父である三代目猿之助(現・猿翁/えんおう)から受け継いだ猿之助の芸には、宙乗りや早替わり、時に体操選手さながらの身体能力が必要とされるアクロバティックな演技が含まれている。『義経千本桜 川連法眼館の場』はその最たるものだ。怪我から復帰できたにせよ、この演目で軽やかに主役を演じる猿之助を目にすることは二度とないかもしれない、多くの人がそう覚悟したほどの事態だった。しかし今年初春の歌舞伎座の舞台に、猿之助は事故以前と変わらぬ姿で現れ、その演技はより一層深みを増していた。

「決して元どおりではありません。左手は以前と同じようには動かないので、できないこともあります。ただ失ったものがある一方で今だからできることもある。それをいかに見いだすかです」

【T JAPAN インタビュー撮影舞台裏】市川猿之助に託されたもの

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 自分の置かれている状況を冷静に見極め、そのときだからできることに最善を尽くす。それは代々の猿之助が一貫して取り組んできたことでもある。そもそも江戸時代にルーツのある“宙乗り”を1968年に復活させたのは三代目猿之助を名乗っていた猿翁である。西欧文化の影響を受けた明治以降、高尚な芸術性や文学的ドラマ性を重視する傾向が強くなっていった中、視覚、聴覚にダイレクトに訴える古来の歌舞伎の特色を意識的に取り入れてのことだった。やがて猿翁は、現代人の感性に響く物語にスピーディな展開とスペクタクルな演出を融合させ、歌舞伎の新たなスタイルである「スーパー歌舞伎」を創始。そしてそれをさらに発展させたのが、猿之助が手がける「スーパー歌舞伎Ⅱ」だ。

 明治生まれの二代目猿之助(猿之助の曽祖父)は、1919年に西欧の演劇を学ぶためにアメリカ、イギリス、フランスなどを巡り、ロンドンで出会ったバレエ・リュス(ロシア出身のセルゲイ・ディアギレフが創設したバレエ団)に刺激されてレッスンまで見学に行き、帰国後に「ロシア・バレエに見られる力強さ」を意識した新作舞踊を発表している。それらの作品には垂直方向に上下する振りや激しい跳躍などが含まれていた。従来の日本舞踊にはなかった発想で、それをよしとせず揶揄(やゆ)する保守的な意見もあった。それらが今では名作と呼ばれるようになり、作品は猿翁を経て猿之助へと受け継がれ、進化する舞台機構に合わせて演出は洗練されてきた。

 霊狐が登場する『小鍛冶(こかじ)』もそのひとつ。今回はその舞台写真と、スタジオで撮り下ろした猿之助と、2 枚を並べて誌面を構成しようということになった。カメラの前に立った猿之助はリクエストを瞬時に理解し、いきなり跳んだ。身体を衣裳に覆われた実際の舞台では目にすることがないふくらはぎが露わになる。腓腹筋(ひふくきん)の発達したスプリンターのような脚だ。歌舞伎俳優らしからぬ脚ではないか? その疑問に猿之助がつぶやいた。「ジャンプしているせいかな」

 代々受け継がれてきた技術習得のための鍛錬の表れなのだ。

画像: 2021年4月、歌舞伎座。『猿翁十種の内 小鍛冶』で演じたのは稲荷明神。霊狐が宿す神秘的なパワーをダイナミックかつ繊細な動きで表現する。猿之助は狐に縁が深い

2021年4月、歌舞伎座。『猿翁十種の内 小鍛冶』で演じたのは稲荷明神。霊狐が宿す神秘的なパワーをダイナミックかつ繊細な動きで表現する。猿之助は狐に縁が深い

画像: カメラを向けた次の瞬間に見せた、アスリート並みの跳躍。指先まで完璧にコントロールされた所作が美しい シャツ¥69,300、パンツ¥121,000/YOHJI YAMAMOTO ヨウジヤマモト プレスルーム TEL. 03(5463)1500 靴、ソックス、ネックレス/スタイリスト私物

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 今年3月、猿之助はスーパー歌舞伎第7作『新・三国志』を歌舞伎座で初めて上演した。1986年の第1作『ヤマトタケル』が舞台作品として高い評価を得ながらも、あまりの斬新さに歌舞伎のメインストリームとは一線を画すものと受け止められていたことを思えば、歌舞伎の殿堂での上演は隔世の感がある。

「江戸時代が終わり明治、大正、昭和にできた新歌舞伎が、古典作品と並んで上演されていることを思えば、スーパー歌舞伎もそういう時期を迎えたということなのでしょう」

画像: 2022年3月、歌舞伎座での『新・三国志』、演じたのは関羽。猿翁がスーパー歌舞伎として上演した作品を再構成した

2022年3月、歌舞伎座での『新・三国志』、演じたのは関羽。猿翁がスーパー歌舞伎として上演した作品を再構成した

 コロナ禍による休館を経ての再開以降、猿之助は猿翁ゆかりの作品の上演時間を短縮し、新たな工夫を加えて次々と上演しては成果を上げてきた。

「2011年の東日本大震災以降、長い作品から人が離れているのを感じていました。ですから上演時間の見直しについてはコロナ以前から取り組んでいたことです」

 名作の仲間入りをした新作は上演を重ねる中で古典となり、次世代へと受け継がれていく。それは同時に、演じ手が身体スキルとして会得した芸の、後継者への伝承をも意味する。

「芸は預かりもの。先人から託されたものは次世代へと渡していかなければならない。歌舞伎俳優なら、みなが思っていることです。でも自分には、何がなんでもそれを全うしなければ! という強い思いがあるわけではないんです。面白いからやっているだけで、嫌になったらやめるだけのことです」

 裏を返せば、猿之助に面白いと思わせるだけのものが歌舞伎にはある、ということか。

「どうなんだろう? わかんない(笑)」

 鋭い分析で理路整然とよどみなく語る一方、子どものような率直な言葉も投げ返す。それがいつもの猿之助だ。一貫しているのは冷静かつ客観的であること。大怪我をしたときでさえ、機械に身体を挟まれたまま翌日の公演の代役を考えていたのだから。

「この世で起こることにあまり興味がないのかもしれないですね。後遺症で手に力が入らないのだって、この先たかだか40年程度、死ぬまでの我慢ですから。これが永遠に続くのなら落ち込むけれど。死があるから救われている部分ってあると思うんです。永遠に生きなきゃならなかったら、そっちのほうが大変でしょう? 永遠なんてない。コロナだって永遠に続くわけじゃない。たまたまその時代に居合わせたというだけのことです」

 ではたまたま居合わせた今のこの世で、残された未来にどんな希望を見いだしているのだろうか。

「笑って死ねること。だって後悔したくないから。後悔するようなことをしなければいい。それだけの話です」

2022年4月、猿之助は歌舞伎座「四月大歌舞伎」、第一部「通し狂言 天一坊大岡政談」に出演。天下を揺るがす稀代の悪人、天一坊を演じる。

四月大歌舞伎
上演期間:2022年4月2日(土)~27日(水)
第一部 午前11時~「通し狂言 天一坊大岡政談」
第二部 午後2時40分~「荒川の佐吉」「義経千本桜 所作事 時鳥花有里」
第三部 午後6時20分~「ぢいさんばあさん」「お祭り」
※開場は開演の40分前を予定
休演日:11日(月)、19日(火)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥16,000、2等席¥12,000、3階A席¥5,500、3階B席¥3,500、1階 桟敷席¥17,000
※ 4階幕見席の販売はなし
公式サイトはこちら

<チケットの購入は下記から>
電話: 0570-000-489(チケットホン松竹)
チケットWEB松竹

市川猿之助(ENNOSUKE ICHIKAWA)
歌舞伎俳優。父は四代目市川段四郎。伯父は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)。慶應義塾大学文学部国文科卒業。1983年、二代目市川亀治郎を名乗り初舞台。2012年、四代目市川猿之助を襲名。古典から新作歌舞伎まで、また立役から女形まで幅広く活躍し、映像作品やバラエティ番組でも存在感を示している。

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