ベルギー人デザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテンの稀少なロング・インタビュー。知的で美しい独特の世界観に基づく服づくりと、着実なビジネス・スタイルーー。その背景にある、彼の魂の系譜を読み解く

BY HANYA YANAGIHARA, PHOTOGRAPHS BY JACKIE NICKERSON, FASHION STYLED BY ELODIE DAVID TOUBOUL, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 そろそろお昼の時間だ。ランチはアトリエでとるらしい。私たちは上階にある天井の高い、ほとんど空っぽの部屋に行った。床には出版を控えた本の校正刷りが置かれている。ヴァン・ノッテンのこれまでのキャリアを語るポートフォリオのような本だ。彼は今年3月にパリで、デビューから100回目を記念する晴れやかなショーを披露した。シグネチャー的なデザインの集大成といえるこのショーでは、最もヴァン・ノッテンらしい特徴や柄のスタイルと、彼のデビュー初期に活躍した、現在40代前後になる懐かしいモデルたちが勢ぞろいした。

このショーを見ると、彼の世界とその独特の視点はもちろん、ひとつのコレクションがいかに別のコレクションと結びついているかに気づく。彼のショーは、イギリス人小説家デイヴィッド・ミッチェルによる“ユーバー・ブック(über book:一冊ごとに内容の異なる物語でありながら、登場人物などがオーバーラップしていく本を何冊も書いていくという構想)”のファッション版なのだ。それぞれの作品(ミッチェルにとっての小説、ヴァン・ノッテンにとっての服)が壮大なパズルの1ピースであることは、作り手だけが知っている。言い換えれば、それぞれの作品が、作り手の隠れた意図の一部を示している。だからこそ、ドリス ヴァン ノッテンのドレスやシャツやスカートは、どの年のどのシーズンのものでも(ファンにはその詳細を見抜けるだろうが)、今っぽく、はっとするほど新鮮に着こなせる。彼の服は、“お気に入りの本の、章題が思い出せない一章”のようなものなのだ。

 私たちの足もとには、ヴァン・ノッテンがこれまで手がけてきたすべてのコレクションの写真が列を成して並んでいる。2006-’07年秋冬のトルコの香りが漂うコレクションでは、ムガル帝国の装飾を彷彿させるチューリップ柄を極端に拡大したモチーフが印象的だ。1996-’97年秋冬のインドに着想を得たショーでは、まばゆい黄緑の透け感があるブラウスと、繊細で絢爛なサリーのようなストレートスカートが目を奪う。私たちはこんなふうにあちらの列、こちらの列を歩きながら、冷たいコンクリートに並んだ躍動的な彩りの写真を眺めていた。

不意に私は、アーティストに対して聞いてはならぬ愚問を投げかけてしまった。「特別に気に入っているルックやショーはありますか」。ほかのアーティストと同じ否定の言葉が返ってきたが、その後、彼は考え直して言った。「この本では基本的に、コレクションごとに6ページ割りあてられているんだ。でも特に気に入っているものは8ページ、いや10ページとか14ページくらいは割かれているはずだよ」。

というわけで私たちは再び歩き出し、ページ数を数えては大声で叫び合った。「10ページ!」「12ページ!」。とそのとき、はっとするような見事な服が私の目に留まった。シフォンとオパール加工(透かし模様入り)のビロードを使ったメンズのカフタンコートだ。一面びっしりと刺しゅうが施されていて、美しい鎧のようにも見えた。もしも人生が、現像しきれないほど、覚えきれないほど膨大な写真の集約だとするなら、この本はまさにヴァン・ノッテンの人生そのものだ。少なくともその一部だといえるだろう。その人生は美しく、全体像も構想も素晴らしい。もしもヴァン・ノッテンの視点で世界を観たら、そこにはどんな風景が映し出されるのだろうか。

 写真の中に、私のお気に入りの服のひとつを見つけたので、その前に立ち止まった。ほんのりドレープがかったシルクのシースドレスで、ダークブラウンの上半身はライラック色の斜線が刻まれている。下の部分を彩る青いアヤメの柄は、印象派の絵のようにうっすら霞んでいる。これは2008年春夏の服。このコレクションもドレスのことも、私はまだよく覚えている。でもこれを買うお金がなかった。店にまで行って試したが、買えないまま店を後にしたのだった。「こんなに素敵な服に出会ったのは、初めてかもしれません」と私はヴァン・ノッテンに伝えた。

画像1: アントワープ郊外の庭に
ドリス・ヴァン・ノッテンを訪ねて
<後編>

 アーティストに謙虚な人というのはめったにいない。控えめに見せようと努力しても、性質は変えられない。言い方を変えれば、彼らは謙虚であって謙虚でないのだ。アーティストは、傲慢と自己嫌悪に挟まれた、不幸な狭い空間を生きている。ちょっとしたひと言にも過剰に反応して、あれこれと妄想に走ってしまうのだ。こんな見方は、高慢でも横柄でもないヴァン・ノッテンにはあてはまらないかもしれない。だが彼は数秒間、口をつぐんでいた。あの端正な顔を少しこわばらせて、かすかに眉をひそめたように見えた。写真のドレスを凝視した彼のまなざしは、あの感嘆すべきバラを見つめていた視線とまるで同じだった。

 私は「本当に美しいドレスですよね」と繰り返した。だが彼はまだ目の前の床にあるドレスの写真に見入ったままだった。シルクのくすんだ輝きと、ドリス ヴァン ノッテンらしいブルーの花が見事なドレス。美しいという言葉しか、彼にも浮かばなかったはずだ。だが時折、“哀愁のガーデナー”にすら、何もできなくなる瞬間があるようだ。目の前の美しさに心を奪われること以外には。彼は、「確かに、そうだね」と答えた。

MODELS: SOHYUN JUNG/ ONE MANAGEMENT, AMANDA GOOGE/ WOMEN MANAGEMENT AND KERKKO SARIOLA/ NISCH MANAGEMENT. HAIR BY TOMOHIRO OHASHI AT MANAGEMENT+ARTISTS. MAKEUP BY ADRIEN PINAULTP AT MANAGEMENT+ARTISTS. SET DESIGN BY CAROLE GREGORIS AT MANAGEMENT+ARTISTS. CASTING BY ARIANNA PRADARELLI. ANTWERP PRODUCTION BY INGRID DEUSS. PARIS PRODUCTION BY SHAPE PRODUCTION. DIGITAL TECH: THOMAS RAFFAELLY AT SHERIFF PARIS. PHOTOGRAPHER’S ASSISTANTS: ALFA AROUNA AND TALOS BUCCELLATI. STYLIST’S ASSISTANT: JULIEN SCHMITT. HAIR ASSISTANT: SHO TANAKA. MAKEUP ASSISTANT: MOUNA BENOUHOUD. PROPS ASSISTANT: MANUEL CARCASSONNE

アントワープ郊外の庭にドリス・ヴァン・ノッテンを訪ねて<前編>へ

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