時代が変化を求めても、エルメスは変化を拒む。永遠に変わらないこと、それが彼らの最大の武器なのだ。世にも稀有なメゾンを支える7人のクリエーターが語る、その魅力と知られざる裏側

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY OLIVER METZGER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 怒濤の勢いで加速していくこの世界で、エルメスはこれからどこへ向かうべきか。ピエール=アレクシィは長いことその答えを探り続けている。このまま時代に逆らっていくことを選ぶなら、多くの試練に立ち向かわなくてはならないだろう。ラグジュアリー業界で、エルメスほど垂直統合(企業が商品の開発、生産、販売まで一貫して行うこと)に徹した企業はほかにない。自社で素材を調達し(オーストラリアに複数のワニ飼育施設を所有しているとの噂もある)、製品のほとんどはアイデアから完成にいたるまで自社で一手に行なっている。2001年に始動したエルメスのオンラインブティックは、その分野で確固たる存在感を築いているが、ソーシャルメディアにだけはどうもかみ合わない部分がある。ピエール=アレクシィはデジタル世界についてこう漏らす。「あらゆるものが以前より身近になったような錯覚をもたらしているよね。実際のところ、大切なものは遠くへ行ってしまったのに」

 ここ10年の間に、機械化に対する文化的な反発が広がり、手しごとが新たに賛美されるようになった。エルメスのようなメゾンは恩恵を受けたが、もっと若い世代を引きつけなければというプレッシャーは消えない。ピエール=アレクシィが目指すのは、あらゆる妥協を許さないエルメスのこだわりを、今らしく表現すること。そのためここ最近は、膨大な時間と巨額の予算を投じて、創作のプロセスを披露するイベントを世界のあちこちで催している。巡回先は韓国やタスマニアなど意外な地域にまで及ぶ。イベントのなかには、たとえば母親が昔使っていたスカーフを持ち込むと、近未来的な外観の専用マシンで、ハッとするような新色にオーバーダイ(後染め)してくれるというサービスもあった。また2010年には、エルメス家のパスカル・ミュサールが「petit h(プティ アッシュ)」という実験室を立ち上げている。サステナビリティを目指す、エルメスの真摯な姿勢を体現しながら、遊び心も詰め込んだプロジェクトだ。そこではレザーの端切れや余ったシルク、ボタン、小さな欠けがあるクリスタルガラスの食器などを複数の部門から寄せ集め、一点もののテディベアやクリスマスオーナメントを作ったり、バッグをユニークにカスタマイズしたりしている。

 ギルド型組織を運営するには、ボトムアップ(下から意見を汲み上げて全体をまとめる)の体制が求められる。エルメスでは、必要な専門技術をもつ職人が社内にいない場合、外部の職人に協力を仰いでいるが(たとえば製作に3カ月かかるという漆細工は何人かのベトナムの職人に依頼している)、この職人たちがみな高齢になり、彼らの子どもたちもその仕事を継ぐ気がないという。企業の発展だけを目的に、次々と新分野に着手して株主を喜ばせる競合企業とは違い、アクセルとピエール=アレクシィはむしろ一歩引いて、社内の職人と、世界各地にいる外部パートナーの技能向上のために労力と資金を注いでいる(実質賃金を支払うことがエルメスの信念のひとつだが、そのために製品は高価になってしまう)。

画像: シューズ&ジュエリー部門 ピエール・アルディ 元ダンサーで、イラストレーターでもあった博学多才の持ち主。1990年からエルメスのシューズデザイナーになり、2001年以降はジュエリーも任されている。彼は現在、設立して20年になる自身のブランドのアトリエと、パンタンのエルメス社にあるアトリエを往復しながら仕事をしている。 「エルメスにはルールもバイブルもない」とアルディ。「それで事がうまくいくのは、キャスティングが見事だから。オーケストラのように、それぞれの人が常に満身の力を込めて演奏しているんだ」

シューズ&ジュエリー部門 ピエール・アルディ
元ダンサーで、イラストレーターでもあった博学多才の持ち主。1990年からエルメスのシューズデザイナーになり、2001年以降はジュエリーも任されている。彼は現在、設立して20年になる自身のブランドのアトリエと、パンタンのエルメス社にあるアトリエを往復しながら仕事をしている。
「エルメスにはルールもバイブルもない」とアルディ。「それで事がうまくいくのは、キャスティングが見事だから。オーケストラのように、それぞれの人が常に満身の力を込めて演奏しているんだ」

「アイデアを、そのまま形にできる。こんなメゾンはほかにないよ。エルメスでは『そんなものは実現できない』とか『高すぎる』って言葉を聞いたことがない」と話すのはピエール・アルディだ。元ダンサーで、イラストレーターだった彼は知識豊かで、あふれんばかりの発想力を備えている。アクセルとピエール= アレクシィは、この“創造熱に浮かされたような”アルディがフリーランスとして活動することを形式上認めている。そのため彼は現在も、自身の名を冠したパリ発のシューズブランドを続け、2001年から2012年にかけては、ニコラ・ジェスキエール(現ルイ・ヴィトンのウィメンズ・アーティスティック・ディレクター)率いるバレンシアガのフットウェアもデザインしていた。だが彼にとっての“マイホーム”は、エルメスだと言う。このメゾンにはダンスの世界を思い起こさせる何かがあるそうだ。「ひとつの理想を熱く追い求める集団みたいでね、居心地がいいんだ。自分のことを愛してくれる家族、何か間違えても許してくれる家族と言ったらいいかな」

画像: 革の鞍の製作に使う工具は、エルメスのルーツを想起させる

革の鞍の製作に使う工具は、エルメスのルーツを想起させる

 だがウィメンズ・シューズはメゾンにとって扱いの難しい部門だ。これはナデージュ・ヴァンへ=シビュルスキーが統率するウィメンズ・プレタポルテについても言えること。エルメスの製品の多くは、世代を超えて身につけたり、運んだり、座ったりできるように作られているが、それに比べてシューズやウェアは気まぐれな流行に振り回されやすいのだ。特にフットウェアは、どんなに丁寧に作っても履いているうちにガタがきてしまう。「1、2シーズンたつと、女性たちは新しい靴が欲しくなるものなんだ」。アルディはあっさり言いきった。

画像: アルディが最近描いたデザイン画

アルディが最近描いたデザイン画

「そうは言っても、僕が最高のデザインを目指していることに変わりはないよ」。アルディは話を続ける。「いくら物の寿命が短くても、そのせいでいい加減なデザインをするわけじゃないから」。エルメスも時代に呼応しようとしているのか、最近のアルディはハイテクスニーカーの開発に力を入れている。普通はどんなブランドのものも、たとえ500ドル、あるいはそれより高いものでも、スニーカーはすべてアジアの工場で作られている。だがエルメスはパンタンの工房の技術力を最大限活かして、この新しいシューズの製造に取り組んでいる。「ハイテクスニーカーの製作作業は、ほかのシューズとまるで違うんだ。靴というより、車を組み立てている感じだね」

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