ウォッチジャーナリスト高木教雄が、最新作からマニアックなトリビアまで、腕時計にまつわるトピックを深く熱く語る。第5回は、優れた自社製ムーブメントを製作し、ジュエリーで女性も魅了する、時計と宝飾の両方に秀でた「ショパール」から、伝説のアイコンウォッチを再解釈し、新時代にふさわしく生まれ変わらせた新コレクションが誕生

BY NORIO TAKAGI

 1927から1957年に製造されたクラシックカーが、公道でスピードを競う。走行距離は、1,000マイル。そのイタリア語を冠した「ミッレ ミリア レース」は、世界一美しいカーレースとの称賛を集めている。イタリアで開催されるこのレースを、「Chopard(ショパール)」は1988年からスポンサードしてきた。そして毎年、同レースの名を冠した腕時計の限定モデルも製作。自動車と時計、それぞれのマニアからコレクターズアイテムとして人気が高い。

 またショパールは、女性の間ではハイジュエラーとしても知られる。1998年からオフィシャルパートナーとなったカンヌ映画祭のレッドカーペットで、女優陣をより華やかに見せているのは、ショパールのハイジュエリー。さらに同映画祭の最高賞パルム・ドールのトロフィーを製作しているのも、ショパールである。

画像: メゾンの創始者、ルイ‐ユリス・ショパール(右端)は時計職人として若くして頭角を現し、ロシア宮廷や著名人の顧客を得た。左端は三代目ポール‐アンドレ

メゾンの創始者、ルイ‐ユリス・ショパール(右端)は時計職人として若くして頭角を現し、ロシア宮廷や著名人の顧客を得た。左端は三代目ポール‐アンドレ

 そんなメゾンの歴史は1860年、スイス・ジュラ地方の町ソンヴィリエに始まる。創業者のルイ‐ユリス・ショパールは、優秀な時計師であり、高精度で美しい懐中時計の作り手として、早くから名を馳せてきた。1937年、二代目ポール‐ルイはアトリエをジュネーブに移転。精巧さと同時に美しさも重んじるジュネーブ様式がショパールにもたらされ、高級時計メゾンの仲間入りを果たした。そして1963年に、大きな転機が訪れる。息子たちが会社を継ぐ意思がないことを知った三代目ポール‐アンドレは、メゾンの存続を願い、ドイツ・フォルツハイムで代々宝飾品を製作してきたカール・ショイフレ三世に経営を移譲したのだ。かくして時計と宝飾のそれぞれに、優れた技術力と創造性とを発揮する今のショパールの基盤が築かれた。そして今日まで、ショイフレ家による家族経営が貫かれている。

 現在、カール・ショイフレは会長職に就き、彼の息子と娘が共同社長を務めている。妹キャロラインが、レディスウォッチとジュエリー部門を率い、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールトロフィーのデザインも、彼女が手掛けた。そしてメンズ部門のトップとして前出のミッレ ミリア コレクションの創出や1996年に発表された高級自社製ムーブメントL.U.Cの開発を牽引してきた兄カール‐フリードリッヒが、最初に手掛けたのが1980年に誕生した「サンモリッツ」だった。メゾン初のSS製スポーツウォッチは、ブレスレットとケースとが完全に融和した、ショパールらしいエレガンスを併せ持ち、世界的に大ヒットした。

画像: 1980年に誕生したサンモリッツの当時の広告。スキーやゴルフなどのスポーツに向くことを、ビジュアルで示している。ブレスレットやベゼルのビスなど、多くのディテールを「アルパイン イーグル」は引用している PHOTOGRAPHS: COURTESY OF CHOPARD

1980年に誕生したサンモリッツの当時の広告。スキーやゴルフなどのスポーツに向くことを、ビジュアルで示している。ブレスレットやベゼルのビスなど、多くのディテールを「アルパイン イーグル」は引用している
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF CHOPARD

 1990年代初頭まで作られていたサンモリッツが今年、再び表舞台に立った。仕掛け人は、カール-フリードリッヒの息子、カール-フリッツ。5年前に父のデスクの上に置かれているサンモリッツを見付けた彼は、その美しさに惹かれ、父に復刻を進言したのだ。しかし父カール‐フリードリッヒは、耳を貸さなかった。そこでフカール‐リッツは、祖父カール・ショイフレに相談し、秘かにサンモリッツを現代的に再解釈したプロトタイプを製作。それを見たカール‐フリードリッヒは可能性を感じ、プロジェクトを進めることを認めた。

 

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