BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY KRISTIN-LEE MOOLMAN, STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY HARU HODAKA
アンダーソンにとって、英国の美意識の進化を、陶器ほど完全に体現する技術や素材はほかにない。陶器は地球が生んだ究極のアートであり、大地そのものに根差した土の窯の中から魔術のように誕生するものだ。デザイナーであり、コレクターである彼が特に夢中なのは、大戦後に活躍したイギリスのスタジオ・ポタリーの陶芸家たちだ。彼らはアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴しただけでなく、建築家でデザイナーのヨーゼフ・ホフマンがウィーンを拠点に立ち上げアールデコの先駆となったウィーン工房や、さらにバウハウスや、オメガ・ワークショップからもインスピレーションを得た。オメガ・ワークショップはブルームズベリー・グループのクラフトを中心とした一派で、テキスタイルや版画や家具などを作っていた。70年代までにはロンドンのキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツの周辺に陶芸家たちが集い、グループとしてゆるくまとまっていた。その中にはオーストリア生まれのルーシー・リーや、ドイツからの移民で、リーのスタジオ・アシスタントからキャリアをスタートしたハンス・コパーがいた。
アンダーソンは自分で陶器を作ろうとしたことは一度もない。陶器のような芸術には趣味ではとても手を出せないと彼は感じている。それでも、アンダーソンが手がける、知的好奇心を激しくかき立てるような作品の中に、スタジオ・ポタリーの陶芸家たちの粗削りな塗りの技術や、挑戦的な造形、伝統から逸脱したバランスや、異なる素材の対比などの間接的な影響を見ることができる。ロエベのハンモックバッグのスマートな形状や曲線がその例だし、JW ANDERSONの、まったく違うパネル状の布をパッチワークして、わざとちぐはぐなボタンを飾ったドレスもそうだ。
私がアンダーソンと一緒にいるとき、彼はつとめて携帯電話を無視していたが、たったいま着信シグナルがあり、彼はそれを見つめている。仕事の電話が彼の集中力を削ぐことはないが、ネットオークションの競りに急な動きがあったのだ。彼はルーシー・リーが作った貴重な淡いピンクの磁器製ボタンの6個セットを狙っていた。彼はリーのボタンをすでに100個以上蒐集しており、さらに彼女の陶器作品を数十個は所有している。彼は彼女の作品の繊細さを愛しているだけでなく、作品の背景のストーリーに魅了されている。1995年に93歳で死去したリーは、ナチスから逃れて、ボタンを売って得た収入で作品を作る材料を買っていた。彼女が作るボタンは、それ自体がごく小さな彫刻で、ボウルの形や、紐を結んだような形、さらにマッシュルームのような形をしているものもある。彼女はそんなボタンを、ロンドン大空襲のあとの物資があまりない時代に、デパートのハロッズに売っていたのだ。彼女のボタンは不完全で形も不格好だからこそ、何か物事を新しく始めたときの不器用さを決して忘れるなという教訓を含んでいる。「以前はタダ同然の値段でボタンが手に入ったけど、今はもうそうはいかない。中国の誰かが値をつり上げてるんだ」と彼は言う。彼は目を細めて言った「これはまずいな」