BY JUNKO ASAKA, PHOTOGRAPHS BY TAKAO AKIMOTO
5月も下旬になると、春の遅い東北・津軽は田植えのシーズンを迎える。田植えは農家の人々にとって一大事業だ。ほんの40、50年前までは、「結(ゆい)」と呼ばれる地域の共同体が、力を合わせて互いの田植えを手伝っていた。作業は夜明けとともに始まり、朝ごはん、10時の「こびる」(小さな昼食)、昼ごはんと、合間に何度も食事をはさむ。夕方早めに仕事を切り上げ風呂を浴びてからは、みんなで宴会だ。重労働の男衆たちのために、農家の女性たちは一日中、休む暇なく食事づくりに追われていた。
田植えだけでなく、冠婚葬祭などで近所の人々がひとつの家に集まることを「人寄せ」といい、各家ごとに、代々受け継がれてきた家庭料理で客をもてなすのがならわしだ。とくに田植えの時期には仲間の家の田が全部終わるまで、人寄せは何日も続く。農家の女性たちは互いに得意料理や知恵を教えあい、素朴な地方料理を豊かに広げてきた。そうした土地ならではの伝承料理が、今、ライフスタイルの変化とともに失われようとしている。女性の社会進出や核家族化、農業の担い手の減少といったさまざまな事情で、つながってきた伝承の糸が途切れつつあるのだ。
そんな中、”古津軽の伝承料理”を次世代に伝えようと奮闘する女性たちがいる。弘前市石川地区の「津軽あかつきの会」である。メンバーは20代から80代の農家の女性約30名。中心となるのは、今年77歳になる会長の工藤良子さんだ。
もともと保育士として働くかたわらりんごや米などを栽培していた工藤さんは、23年前、地元に開設された農産物特売所で、友の会会長として名産品の販売コーナーや加工施設、農家レストランの管理をまかされることになった。友の会の女性メンバーたちとともに、農産物を利用した商品開発やレストランのメニューを考えるため地域の高齢者に話を聞きにいったことが、この活動のきっかけとなったという。
「80代くらいの地域の大先輩たちに話を聞いて、いちばん驚いたのは保存食の作り方と、その豊富さでした」と工藤さんは言う。山と海に恵まれた津軽では、春は山菜、秋はきのこ、夏には畑で野菜がたくさん採れ、ニシンやタラといった魚介も豊富だ。それらの食材を、雪深い冬のあいだに長く食べられるよう、各家庭で保存するのだという。たとえばニシンは塩3・麹5・米8の「三五八」で一年間漬け込み発酵させたものを飯寿司(いずし)にしたり、半干しにした身欠きニシンをネギと合わせて酢味噌和えにしたり。夏に採れた枝豆の漬け物「豆漬け」、青唐辛子を昆布やきのこ、食用菊といっしょに麹と醤油で漬け込んだ「なんば漬け」も、津軽に古くから伝わる味だ。