世界中が──特にアメリカでは──氷を当たり前の生活必需品と考えている。だが、それが本来は贅沢品なのだとしたら?

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY ESTHER CHOI, SET DESIGN BY MARTIN BOURNE, FOOD STYLING BY SUEA, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

 12月下旬のハワイで雪が降った。ひと晩中降り続き、休火山マウナケアー標高約4,200mで、ハワイ諸島と太平洋で一番高い―が3mも冠雪して、除雪車が通るまで山頂への道は封鎖された。異常気象だったわけではない。このあたりは毎年雪が降る。カナカ・マオリ(ハワイの先住民)にとって、マウナケアは神聖な山だ。人間ではなくアクア(主神たち)とクプア(半神たち)のもので、なかでも雪の女神ポリアフは太古にマウナケアで火の女神ペレと戦い、溶岩流を雪で覆ってせきとめたのだという。

 よそから訪れる者は昔からハワイの雪に驚き、信じられないという顔をする。何しろイメージが正反対だ。ハワイといえば、熱帯のパラダイス。常夏で、時間からも解放され、いつでも昼下がりのような土地……。先住民文化研究学教授ヒイレイ・ジュリア・カウェヒプアアカハオプラニ・ホバートの著書『Coolingthe Tropics: Ice, Indigeneity,and Hawaiian Refreshment』(2022年12月刊行)の説明によると、雪はともかく、氷は確かにハワイには縁がなく、商品としてもち込まれたものだという。19世紀半ばにアラスカやニューイングランドから巨大な氷の塊が船で運ばれたのが最初で、のちに製氷機で作られるようになった。ハワイの暑さになじめず、心身ともにぐったりしていた本国からの移住者にとって、氷はつかのまの涼をとれるものであり、彼らにとっては怠惰や耽たん溺できを連想させる熱気から逃れるための手段だった。自分たちは先住民とは違う、近代化と文明のほうに属しているのであって、目先の欲望だけで生きたりしない(と思いたい)、と再確認することができたのだった。

 今日、私たちの多くは、食品や商品として当たり前に氷を消費する(氷河の縮小の話はしていない、今はまだ)。冷凍庫で簡単に作れて、飲み物に入れてグラスが汗をかくまで冷やしたり、ワインクーラーに敷き詰めてワインやシャンパンのボトルを埋め込んだり。気候に関係なく、世界中ほとんどどこでも手に入る。もちろん清潔な水を確実に入手できない土地は別だろう―世界人口の25%、20億人ほどがその憂き目にあっているのだが。また、冷蔵庫や冷凍庫に使う電力が確保できない土地でも難しい―世界人口の約10%、7億7,000万人がそうした状況にある。自分たちが惜しみなく消費するものが、誰かにとっては今も珍しい贅沢品かもしれない、という点を忘れてはいけない。かつては人類がみな、その「誰か」と同じだったはずなのだ。

 とはいえ、氷がありふれた日用品—何かを引き立てる道具や補助的役割で、氷自体はほとんど注目されない―となっている現代人にとっても、氷は変わらず奇妙な魅力を放つ。このキラキラ光る結晶のどこがそんなに特別なのだろう? 自然の摂理をねじふせ、夏を支配するということ以外に?

 氷ははかなく消え去るもの、という自然界の真実さえ私たちには無縁だ。解けたらまた補充するだけ。作り足すのは造作もない。そうやって、おそらく私たちは永遠に、氷がなくなる未来から目をそらし続ける。

画像: 氷に閉じ込めた白ブドウ、洋梨、キウイ。天然素材で着色した、氷で作ったバナナ、ストロベリー、ラズベリー。凍らせた芍薬の花とともに。

氷に閉じ込めた白ブドウ、洋梨、キウイ。天然素材で着色した、氷で作ったバナナ、ストロベリー、ラズベリー。凍らせた芍薬の花とともに。

 水が凍ったもの、それが氷のすべてだ。しかし昨今ではそうともいえない。どう凍らせたか──どんな手法で、どんな型で──が重要だったり、精製水なのかフレーバーウォーターなのか、あるいは水以外のものなのか、という点が重視されたりする。一部の界隈が絶賛しているのはナゲットアイスだ。イリノイ州に本社を置く製氷機メーカー、スコッツマン・アイスシステムズが1981年に考案した。薄く削った氷をぎゅっとつぶして小さな球に成形するというもので、気泡が入ってパリパリと軽やかに砕ける氷になる。アメリカのバーガーチェーン「ソニックドライブイン」に導入されて広まり、カルト的な人気が生じたことから、家電メーカーのゼネラル・エレクトリックが家庭用のナゲットアイスメーカー(579ドル)の販売を始めたほど。スターバックスも先日、ドリンクに使う氷は今後数年でナゲットアイスに切り替えていく、と発表している。

 ナゲットアイスのファンは、食感が最高だと主張する。一方で、氷に重要なのは何よりも透明度だ、という意見もある。一点の曇りもなく、ダイヤモンドのようにキズのないキューブを家庭で実現するのは難しい。透き通った氷を客に出すバーは、たいてい専用の機械に頼っている。たとえばコロラド州のクラインベル・エクイップメントというメーカーの機械は、冷却板の上で水を凍らせる。100%完璧な透明を求めるのは、実用性という面ではほとんど利点がなく―味にも解ける速度にも影響しない―ただ見た目を美しくするにすぎない。だが、その理由だけで十分なのかもしれない。サンフランシスコで活動するジャーナリストのキャンパー・イングリッシュは、カクテルの氷について豊富な知識を披露した著書『The IceBook: Cool Cubes, Clear Spheres, and Other Chill CocktailCrafts』(2023年3月刊行)で、そう断言している。

 サイズが重要視されることもある。バーに行けば、巨大な氷を浮かべたカクテルを手にした客が、グラスの中はアルコール以外のもののスペースのほうが広くなくてはいけないんだ、と蘊蓄を垂れる。これは好みではなく科学の理屈だ。一般的に、体積に対して表面積の比率が低いと氷が解けにくく、ゆえにアルコールも薄まりにくい。巨大な氷を出すラウンジを愛用する人の心には、自分はそうしたこまやかな部分を大事にする人間である、と示したい気持ちがある。最高のカクテルを作る秘訣も知っているし、アメリカで語り継がれているカクテルの伝統も知っている、自分はそうした知識をもつ者(そうした知識を学ぶ余裕もある者)である……と。

 ちなみにカクテルに氷を入れるという伝統は19世紀後半に始まったもので、当時は一回一回手作業で氷を削っていた。のちに1970年代の日本で、自分たちの仕事を匠の技として追求するバーテンダーたちによってこの伝統がリバイバルされ、2000年代のアメリカに再びブームがもち込まれた。大型の氷は値が張る。カリフォルニア州デイヴィスの製氷会社グレイス・ラグジュアリー・アイスのロックアイスなら、特大サイズ40個で325ドル。一個あたり約8ドルだ(大人世代なら知っていることだが、ベーシックなものほど極めれば高くなる。単なる氷でも、匠の技で作られたなら一個8ドル。コットンの白Tシャツでも、ブルネロ・クチネリなら一枚695ドルだ)。ナゲットアイスは飲料の添え物というより、注がれる液体と同じく材料のひとつとしての存在感をもつのだが、グレイス社の氷は、あくまでスイス並みの中立的存在だ。余計な物質が混じらないどころか、ミネラルさえも取り除いた精製水から作られており、グレイス社いわく「ゼロテイストという性質」を極めている。たとえば熟成スコッチがまとう燻製香やマーマレードの風味を邪魔することもない。

 だが、カクテル文化にカネをつぎ込んでいない層にしてみれば、こうした巨大な氷の魅力は、単に大きいから、それだけだろう。庶民は普通の氷で我慢するのが関の山。ソーシャルメディアにそそのかされ、素敵な氷を使う素敵なライフスタイルを夢見るうちに、かつては高級店の専門家だけが作るものだった美しい形の氷、目を見張るような氷を自宅で作ってみるのがブームになった。TikTokには、冷凍庫に氷の芸術作品を陳列した動画がたくさん投稿されている。球体、六角形、ハート形や蝶の形。真っ赤なチリソースや蛍光ピンクの胃腸薬シロップで色付けをした作品もある(味は二の次、見た目が大事)。何の変哲もないキューブ型でも、中心にミントを浮かべたり、チェリーを埋め込んで茎だけ突き出させたりすれば、永久凍土に埋もれた化石を見るような面白さが生じる。ビジネスとしても、たとえばロサンゼルスのディスコ・キューブスというデザイナーズアイスのメーカーが、マリーゴールドやライラックの花を埋め込んだ氷を個数限定で売り始めた。閉じ込められた花たちは、まるで永遠の命を得たかのようにいきいきとして鮮やかで、ヴィクトリアングラスのペーパーウェイトを思わせる。

 きれいさ、かわいさの範疇を超え、いかに凝ったものにするかを追求する場合もある。マティーニ用のキューブアイスの中にオリーブとオリーブブライン(オリーブが漬かっていた液体)を閉じ込めるのも、その一例だ。最初はクラシカルなマティーニとして飲み始めるが、やがて夜が更けて氷が解けていくと、オリーブブラインがしみ出して、どことなくダーティないかがわしさを醸し出す。このときの氷は単なる材料ではない。飲み物を変身させてしまう不思議な存在だ。

画像: (左から時計回りに)氷に閉じ込めたパパイヤ、氷で作り天然素材で着色したフルーツバスケット、ドライフラワーのバラ、バタフライピーの花やキンセンカの花を凍らせたキューブアイス。

(左から時計回りに)氷に閉じ込めたパパイヤ、氷で作り天然素材で着色したフルーツバスケット、ドライフラワーのバラ、バタフライピーの花やキンセンカの花を凍らせたキューブアイス。

 人類の長い歴史の中で、氷はさまざまな用途に使われてきた。ときには、塩と同じく防腐剤として。あるいは、発熱を抑える薬に近いものとして。鍋やフォンデュポットの下で青い炎をゆらめかせる固形燃料の冷たいバージョンとして、オイスターの下に敷き詰めるなど、食卓での温度調節にも使われる。日本のかき氷ならふんわりと、メキシコのラスパード(メキシコ版かき氷)ならさくさくに、デザートの素材として独特の食感をもたらすこともある。深海のごとく冷えたスープで食す韓国の冷麺が、ときには器自体が氷でできたエレガントな姿で供されるように、眼福のため、ささやかな演出として氷が使われることもある。

 砂漠を含め多くの地域で、太古の人間たちは氷を作る方法を考え出してきた。たとえば冷却用の土器、または日陰の浅い水たまりを利用して、水をひと晩放置する。日中に地面に吸収された熱が、水たまりから夜空に放出されると、水温が外気よりも下がって氷ができる。とはいえ19世紀に近代的な機械式冷却装置が開発されるまで、冬季以外に氷を安定供給させる方法といえば、権力の行使以外にはなかったといっていい。紀元1世紀のローマ皇帝ネロは、使いの者に往復およそ400㎞走らせ、アぺニン山脈から雪をとってこさせたといわれている。18世紀後半の初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンも、バージニア州マウントバーノンの邸宅の奴隷たちに、凍ったポトマック川で氷をトン単位で削らせ─氷が割れて凍えるような水に落ちるかもしれないのだから、ひどく危険な作業だ─地下に何年も貯蔵していたという。科学ジャーナリストのエイミー・ブレディが、新著『Ice: From Mixed Drinks to Skating Rinks— a Cool History of a Hot Commodity』でこうしたエピソードを紹介している。

 皇帝ネロが氷を欲しがったのは、ブドウ酒を冷やすため、それから宴会の途中で氷風呂に飛び込んで頭をしゃっきりさせ、また何時間も快楽にふけることができるようにするためだった。ワシントンはアイスクリームが大好物だった。彼らにとって氷は道楽だ。それに対して現代人にとって氷はもっぱら生活必需品であり、特にアメリカ人はそう考えている。冷蔵庫も扱うドイツの多国籍企業ボッシュ社が2020年にアメリカ人消費者を対象として行なった調査では、回答者の51%が「氷は生活に必須」と答え、56%は「飲み物は冷たくなければ飲まない」と答えた。平均すると回答者ひとり当たり毎月およそ16㎏、年間ではおよそ181㎏の氷を消費する。一方、食料消費に関するアメリカ農務省のデータを見ると、アメリカ国民ひとり当たりの穀物の年間消費量は約54㎏、果物は約49㎏(2021年)、野菜は約73㎏(2019年)、肉・魚・卵・ナッツは約82㎏(2018年)。つまり、アメリカ人は年間で、食べ物に近いといっても過言ではないくらいの量の氷を消費している。

 こんなふうに氷に執着するのはアメリカ人だけなのだろうか。ホバートの著書によれば、1885年のアメリカではどの国よりも多くの製氷機が稼働し、どの国よりも多くの氷を生産していた。作家のマーク・トウェインは1895年に「私たちにたったひとつ特別なこと、『アメリカ人の』と全員をひっくるめていえることがあるとすれば、それは氷水に対する全国的な思い入れだ」と書いている。そしてヨーロッパ人はこれを不可解に見ている、とのちの記述で指摘した。氷に不純物が混じっている危険性を考えたり、冷やしすぎると身体のはたらきがおかしくなると信じていたからだったようだ(中世ヨーロッパの学者には、冷たい食べ物は身体を麻痺状態にするという考えもあった)。中国でも、昔から水は熱い、もしくは温かいほうが血のめぐりがよくなるので好ましいとされている。現代においても、飲料の口あたりがよいとみなされる提供温度は何度なのか、世界各地で見解は割れる。アメリカ人がドイツで出されるビールにぬるすぎるとケチをつけることは有名だし(ぬるいのではない、冷たくないだけだ)、フレンチレストランでは氷が出ない―たとえ38℃の猛暑でも、エアコンの使用さえ認めない―のは思想的な選択であると同時に反発心の誇示でもあるらしい。アメリカの影響、特にアメリカ人の食の好みにおもねるつもりはない、というわけだ(その意地を貫き通すことで得をしないとしても)。

 ブレディの著書『Ice』に、ボストンの実業家フレデリック・テューダーがたどった波瀾万丈の生涯が紹介されている。テューダーは18世紀末に特権階級の家に生まれ(父は判事だった)、無気力な少年時代を過ごし、大学には興味をもてなかったが、旅先のキューバで熱に倒れた―氷が手に入れば苦しみはやわらいだはずだった―経験から、ボストン近郊の湖から氷の塊を削り出して暑い地域にフェリーで運ぶという事業を思いついた。しかし、氷なんて無料のもの(採氷する人件費を計算しなければ)を誰が買いたがるんだ、と笑われるばかりで、事業への出資が集まらない。最初の計画は失敗し、テューダーは債務者監獄(註:借金を返済できない者を入れる刑務所)に入れられた。あきらめなかった彼はさっさと監獄を出て、1815年には船いっぱいに氷を積んでキューバへ運んでいる(日記によれば、ボストンの波止場まで追ってきた保安官を振りきって出港した)。ハバナに着くと飲食店を回って、氷で飲み物を冷やす方法、アイスクリームを作る方法を実演してみせた。特に効果的だったのは後者だ。アイスクリームはキューバの人々に熱烈に愛され、1世紀半後の1966年には当時のキューバ最高指導者フィデル・カストロが教会ほどの大きさのアイスクリーム・パーラーを建てた。店の名前は「コッペリア」。店内は1,000人が着席できる広さで、頭上に掲げられた政治スローガンの文字はhelado por el pueblo──「人民のためのアイスクリーム」だった。

 フレデリック・テューダーは大きな夢をかなえた。需要のなかったモノを、生活に欠かせない存在へと変え、時代が採氷から製氷へと変わるまでの間にひと財産を築いた。これも、まさにアメリカ人らしいとはいえないだろうか。凍っただけの水という何でもないものからスタートして、最終的には巨万の富を獲得したのである。

画像: (左から)凍らせた芍薬の花びら、ベリーを模した氷を載せて氷をまとわせた皿、キューブアイスのキャンドル、板状の氷の中に埋め込んだスプレーデルフィニウム。

(左から)凍らせた芍薬の花びら、ベリーを模した氷を載せて氷をまとわせた皿、キューブアイスのキャンドル、板状の氷の中に埋め込んだスプレーデルフィニウム。

 氷が道徳の呼びかけを伴うことも少なくない。19世紀の禁酒運動ではアルコールを飲まずに氷水を飲めと呼びかけた。推していたのがあくまで「氷水」だったというのは興味深い。水ではおそらく禁欲的すぎて通用しなかった。氷は、いわばご褒美なのだ。酒を飲まない我慢の埋め合わせでもあり、飲んだ実感を欲しがる渇望をなだめすかす譲歩でもあった。禁酒団体に動員された子どもらが禁酒を呼びかけたほか、金持ちの後援者が公共水栓を作って井戸から水を引き、氷水として利用させようとした。ただし公共水栓は管理が面倒で、市当局はひっそり放置して壊れるままにしていた。

 一方で、氷はむしろ悪影響を与えるのではないか、という懸念もあった。特に女性は弱いので、退廃的な影響に流されるのではないか、と。19世紀に刊行されていた婦人向け雑誌『Godey’s Lady Book』は、1858年の号で、氷を入れた飲み物に対する「病的な欲望」が原因で「耽溺にふけり、取り返しのつかない結果を招くことが多い」と警告した。さらにダメ押しで「アイスクリームをよそった器、氷水を入れた瓶は……多くの場合、毒ニンジンの液で満たした聖杯のようなもの」とも書いている。

 古代ローマの哲学者セネカも、氷に頼る習慣が味覚を麻痺させると危惧していた。生きていることを実感するためだけに、いっそう冷たく、いっそう鮮烈な感覚を求めるようになってしまう、と。際限なく欲しがる心は道徳に対する脅威にほかならない。セネカは著書『Naturales Quaestiones』(註:日本語版は『自然論集』〈岩波書店〉)で、「水は富める者を大衆の地位へ引き下げる手段だった。水だけは金持ちにとっても貧者にとっても同じものだった」と書いている。だが、金持ちが水を冷やすことを要求し、水というものを贅沢品に変える方法を見つけてしまったなら、もはやそうではない。「流水では十分に冷たくないからだめだ、などという発想がもたらされてしまった」(訳者訳)

 現代のハワイで出合う氷は、もっぱら「シェイブアイス」として紙カップに入って登場する(受動態「shaved(削られた)」ではなく、現在形を使うので、「氷を削れ」という高圧的な解釈ができなくもない)。グアバやリリコイなどのフレーバーシロップで明るいボーダー柄に染め上げられた氷は、スキーヤーたちが夢見るパウダースノウのようにやわらかく、どこにもギザギザしたものを感じない。素早くかきこむと、頭の後ろがキーンとしびれる。こんな気候で氷を冷やしておくのにどれくらいの電力を使うか、食べながらでも考えるべきだろうか? 海水の温度が上がり、海面が上昇し、人類よりもはるか昔からあった氷が今この瞬間にも1㎝ずつ、そして1㎞ずつ解けている。それでもスプーンを口に運ぶ手は止まらない──最終的に、ネオンカラーの氷屑がわずかにカップに残るだけになるまで。

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