東京・広尾の伝説的名店、リストランテ「アッカ」で腕をふるったのち、岡山・牛窓に移住した林冬青(とうせい)。孤高の料理人と呼ばれた林が、地元の人たちの応援のもと、瀬戸内の島で小麦を育て、新しく食堂をオープンした。

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY MAKOTO ITO

画像: 小麦の様子を見る林冬青(左)と妻の加苗。「ニシノカオリ」を育てている。別の畑でデュラム小麦、オリーブ、トマトを栽培中。秋には自家製の小麦でパスタを打つ予定。オリーブから搾油して自家製オリーブオイル作りにも挑戦。畑仕事は主に加苗が担当。「いつも感謝しています」と林は言う。

小麦の様子を見る林冬青(左)と妻の加苗。「ニシノカオリ」を育てている。別の畑でデュラム小麦、オリーブ、トマトを栽培中。秋には自家製の小麦でパスタを打つ予定。オリーブから搾油して自家製オリーブオイル作りにも挑戦。畑仕事は主に加苗が担当。「いつも感謝しています」と林は言う。

 穏やかな瀬戸内海のブルーを背に、黄金色に実った麦穂が一面に揺れる。岡山県・牛窓(うしまど)の港からフェリーで5分の前島に、イタリアンの名料理人・林冬青の麦畑があった。

 林は、東京・広尾で、数カ月先まで予約で埋まるリストランテ「アッカ」のオーナーシェフとして活躍したのち、2014年、牛窓に移住し、この地で同店をオープン。全国から彼の料理を楽しみに人が訪れ、この地で伴侶も得て、順風満帆だった。だが2022年に閉店。その後、SNS上でも情報が流れてこず、どうしているのだろうかと気をもんでいたところ、電話をもらった。牛窓港の前に小さな食堂を開いたという。島の畑で小麦を育て、その小麦で「“そわ”パーネ」という“パンとピッツァを合わせたような料理”を作っているとか。パーネって何? 自ら小麦を栽培? 麦秋とも呼ばれる初夏、刈り取りの前日に牛窓へ駆けつけた。

 海を見渡す傾斜地の畑の世話は、主に妻の加苗が担っている。完全無農薬栽培なので雑草取りに日々追われ、獣害対策も必要だというが、一面、見事な実りっぷりだ。「加苗は農業に携わるのは初めてですが、僕よりセンスがあるみたいです」と林。

 翌朝、薄暑の光の中に刈り取りの助っ人たちが集まった。小麦の栽培から製粉まで方法を伝授してくれる、長船(おさふね)町の名店「一文字うどん」の店主・大倉秀千代。コンバインを貸してくれるのはオーガニック農園主の伊賀正直。いつも助言をくれるベテラン生産者の田渕聖人。加苗の友人も加わり、にぎやかだ。勾配のある畑はコンバインの操作が難しく、急な所は大倉が操縦し、傾斜が少ない場所で、林と加苗に交代する。ぎっしり実の詰まった麦穂がコンバインの中に吸い込まれていく。刈り取られた麦は乾燥させ、大倉が所有する倉庫で製粉まで保管される。作業は昼近くに終了し、牛窓に戻り、林の食堂でランチが振る舞われた。「いつも皆さんの力を借りています。感謝しかありません」

画像: 左から、伊賀正直、大倉秀千代、林夫妻。伊賀も東京から移住し、オーガニック栽培で有名な「ワッカファーム」で働いたのちに独立。安心安全な米作りを行う。

左から、伊賀正直、大倉秀千代、林夫妻。伊賀も東京から移住し、オーガニック栽培で有名な「ワッカファーム」で働いたのちに独立。安心安全な米作りを行う。

 小麦栽培を始められたのは、大倉の存在あってこそ、と林は言う。大倉は1995年頃から完全無農薬で小麦を育て、石臼で製粉し、うどんを打つことに挑んできた。「うどんは日本の伝統食なのに輸入小麦を使うことを疑問に思ったんです。当時、国産小麦はなかなか手に入らず、全国を探し回りました。なんと灯台下暗し、隣町で地品種を見つけ、種から育て始めました」と大倉。初めは輸入小麦も用いたが、近隣農家への委託分を含め、現在はすべて地元産小麦でまかなえるようになった。出会った多彩な生産者を集めて開催する朝市も好評だ。林は「ここまでされるのに驚きましたし、それがセルフのうどん店というのも格好いい。地方再生にも貢献されています。大倉さんは、この地にさまざまな恵みをもたらす七福神みたいな人」と尊敬の念を隠さない。

画像: 長船町にある、備前福岡「一文字うどん」の製粉所にて。電動石臼製粉機で小麦を挽いてできたふすま(表皮)は、ふるいにかける。ふるいのメッシュの度合いと回数は林のリクエストによる。写真右はふるいに1回、左は2回かけたもの。

長船町にある、備前福岡「一文字うどん」の製粉所にて。電動石臼製粉機で小麦を挽いてできたふすま(表皮)は、ふるいにかける。ふるいのメッシュの度合いと回数は林のリクエストによる。写真右はふるいに1回、左は2回かけたもの。

画像: 「一文字うどん」の2代目にして“国産小麦うどん”のパイオニア、大倉秀千代。

「一文字うどん」の2代目にして“国産小麦うどん”のパイオニア、大倉秀千代。

画像: 大倉は、小麦と米を二毛作で栽培。米は合鴨農法にて。写真は青首鴨の赤ちゃん。「一文字うどん」の近くの鴨場で孵化し、自家配合の安全な飼料で元気に育つ。

大倉は、小麦と米を二毛作で栽培。米は合鴨農法にて。写真は青首鴨の赤ちゃん。「一文字うどん」の近くの鴨場で孵化し、自家配合の安全な飼料で元気に育つ。

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