人口減少により壊滅の危機に瀕したイタリアの山間の村や町。その苦境から脱するために、知恵を絞り、力を合わせた住民たちの闘いを追った

BY DEBORAH NEEDLEMAN, PHOTOGRAPHS BY DOMINGO MILELLA, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 しかし、こうした町がイタリアの歴史や伝統ある職人技の神髄を象徴する存在であるにもかかわらず、イタリア政府はほとんど町の維持に手を貸していない。唯一やったことといえば、観光客の増加を期待して2017年を「村の年」に制定したぐらいだ。つまり、住民や町長など地元民自らが、その運命を変えるべく奮闘しなければならないということだ。独創的で、ときに賢く、ユーモアや悲壮感や絶望をごちゃまぜにしたようなやり方で。トスカーナ地方のプラタリッチアという風光明媚な中世の集落は、数年前にイーベイで310万ドル(約3億4,000万円)で売り出された。それに続き、カルサツィオという別の町は、「中古品」として、たった33万3,000ドル(約3,600万円)で町を売りに出した。カラブリア州ではセリア(人口530人の町)の町長が、町民に対して死亡したり病気になったりすることを禁じる法令を出した。さらにこの町では、観光客を呼び寄せるため巨大なジップライン(滑車を使って、木々の間に張られたワイヤを滑り降りる遊び)のあるアドベンチャー施設を最近オープンさせた。直近では、リグーリア州ボルミダの町長が、彼個人のフェイスブックで「この町に移住する者に2,100ドル(約23万円)を与える」という仮の提案をした例もある(問い合わせが殺到したため、町長はその書き込みを削除しなければならなくなったのだが)。

画像: ゴーストタウンになる危機に瀕している多くの町は、伝統的に貧しいイタリア南部にある

ゴーストタウンになる危機に瀕している多くの町は、伝統的に貧しいイタリア南部にある

 そしてまた、チヴィタ・ディ・バニョレージョのような町もある。ほかの多くの町と同様、貧困と過疎という、現在の窮状に自分たちを追い込んだ元凶によって、町はそのままの形で保存されてきた。しかし、チヴィタはほかの町と違って、ローマのファッション界の住人(グッチのクリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレなど)や外国人たちに「発見」されることで生き延びることができた。この20年ほどのあいだ、チヴィタの非凡なたたずまいに憧れたこうした人々が、例外的に素晴らしい状態に保たれていた空き屋の建物を夏の避暑地や週末の隠れ家として利用してきた。ローマに近いという地の利も、彼らを惹きつけた理由だ。町全体の復興は、町の最盛期の頃の景観を不気味なほど忠実に再現する形でなされた。完璧にリノベーションされた家々の外壁を飾るのは、黄色く枯れた葉が一枚もないゼラニウムや色鮮やかなあじさいの鉢だ。

 今ではチヴィタは日帰り旅行者の人気スポットとなった。観光客はバスで大挙してやってきて、入場料を払って町に入る。ときには一日に5,000人もの人々が町をそぞろ歩く。一方、住民の数は、観光シーズンのピークでも100人ほどだ。人々が押し寄せ、自撮り棒がアンテナのように上空を動き回ることで、ディズニーランドのセットのような残念な雰囲気が漂うようになってしまった。塵ひとつなく清潔で、史実を正確に再現した中世の町が、まるでユニバーサル・スタジオの裏にある映画セットのように見えてしまうのだ。この町の風景を損なうものは何ひとつない。ピザ屋もスターバックスもなく、車すらも存在しない。そしてふと、子どもや家族が住んでいない、銀行も企業もない町というのはいったいどんなところなのかと思いを巡らせる頃、陽が沈みはじめ、観光客が帰り、昼間の喧噪が闇へと消えていく。静けさが戻ると、灯りがピンク色に光り、ローマや米国などからやってきた〝地元民〞が姿を現す。テラスで飲んだり、裏路地で静かに夕食を囲んだり、自宅の庭で顔見知りの近所の人々や友人たちとおしゃべりを楽しむ。彼らはみな、この魅力的で、はかなく消えてしまいそうな歴史のかけらを愛し、気遣っているのだ。

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