TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA
自宅の東の窓辺に、いつも置いてある壺がある。レンガ色で表面に独特の雲母の輝きがある、素朴な風合いの土器だ。この土器の作り手は、ネイティブ・アメリカンであるプエブロ族の、コーン・フラワーという名のおばあさんだ。
ニューメキシコ州のサンタフェ近くには、ナバホ族をはじめインディアン居留地が多くある。その中でも、有史以前からこの地に暮らしてきた人々の末裔、プエブロ族と呼ばれるインディアンの村では、その村ごとに趣の異なる土器が伝えられている。
アドビという干しレンガで作られた建物が並ぶ質素な村に私が初めて訪れたとき、ちょうど西に日が傾き、村のすべてがオレンジ色に染まっていた。村を見下ろす高台に歩いてゆくと、男が2人、地面に座り、メサと呼ばれる大地に沈む夕陽を眺めていた。彼らは自らを「サン・シンボル」と「ホワイト・バッファロー」であると名乗り、その後沈黙のまま座り続けていた。
「そこで何をしているのですか?」と、私。「“ここ”にいるんだよ」――ただそれだけが、彼らの返事だった。そして再び沈黙が訪れ、私は彼らの瞳の中に夕陽が沈みゆくのを見ていた。何の目的もなく、ただ自分が生まれた土地で美しい夕陽を眺める。それがどんなに至福なひとときか、90年代半ばの当時、私には理解ができず、禅問答のような会話に違和感を覚えただけだった。しかし、「今、ここ」にいて、唯一無二のひとときを味わうことは禅的であり、今流に表現すればマインドフルネスにほかならない。
彼らの赤銅色の肌が闇に溶ける頃、集落に灯りがともった。その灯りの元に、サン・シンボルの母であるコーン・フラワーがいた。彼女の皮膚にはまるで砂漠の地層のような深い皺が刻まれていた。が、その皺は苦悩の軌跡ではなく、太陽のような温かさを表情に添えていて、その笑顔が私の心を解きほぐした。
彼女も息子も、土器の作り手だ。翌朝、再び彼らの家を訪ねると、彼女は使い込んだオーブンを開け、焼けたてのお菓子のような小さな土器を見せてくれた。「私たちにとってこの大地はマザーアース、お母さんのようなもの。だから必ず、あなたの肉を分けてくださいと聞いてから土をいただくの」。その土を粉にして水を入れ、手際よくこねる。「ほら、パンケーキを作るみたいにね」と言って、彼女は粘土をアマ玉みたいに丸めて口に放り込んだ。驚いた私の顔を見て、「子どもの頃は、お母さんが土器を作っているとそばへ行って粘土をねだったものよ」と笑った。