By Nikil Saval, Portrait by Domingo Milella, Translated by Miho Nagano
アーティストのダレン・ベイダーは、ローマにしばらく滞在したのち、ティレニア海に面したビーチで数週間を過ごすために向かう途上、シチリア島のパレルモを通過するところだった。
ベイダーと私は、パレルモで落ち合うことにした。陽光に照らされた教会が立ち並ぶその街には、何世紀にもわたるさまざまな建築様式が、壮大に、そしてほぼ無造作に積み重ねられてきた。そこを歩きながら話をしたのだが、偶然にも、これはお誂え向きの設定だった。シチリアという土地とベイダーは、どちらも驚くべき自己矛盾をはらんでいることで知られている。多くの異なる時代と文化をのみこんで存在するシチリア。そして、宗教色を排し、くだらなさを極め、それを高度な芸術の域にまで押し上げたベイダー。
たとえば、2014年のホイットニー美術館のビエンナーレ展で、ベイダーはふたつの募金箱を作品として展示した。ひとつの箱には「ここに寄付されたすべてはどこかに届きます」と書かれており、もうひとつの箱には「ここに寄付されたすべてはどこにも届きません」と書かれている。
来場者はそれらの箱に、ビエンナーレのプログラムを押し込んで捨て、現金も入れた。1ドル札にサインペンでベイダー宛てに罵倒のメッセージを書いた者もいた。そこに書かれたベイダーの名前の綴りは間違っていた。
ベイダーのアートは、一見、手の込んだいたずらのように見えるかもしれない。《ヘロイン漬けのラザニア》という2012年の作品では、ひと切れのラザニアにヘロインを注射した。2011年には、マイアミ郊外にある伯母の家から車を運転してきて、バス美術館の前に駐車し、それを《僕の伯母の車》と題して展示した。ベイダーの作品に接すると「じゃあ、もし......だったらどうなるんだ?」と考えずにはいられない。彼が何と何をどう奇妙に組み合わせるのか、そして、その組み合わせの結果はどうなるのか、と。
2011年にニューヨークのアンドリュー・クレプス・ギャラリーで行われた展覧会で、彼はギャラリーの中に2匹の生きたヤギを放った。ベイダーにとってヤギは「ファウンド・オブジェ」(註:自然の産物などの中にアートを「発見する」こと)だった。「ファウンド・オブジェ」は、多くのアーティストたちの作品リストで使われてきた、アート界の古びた常套句だ。ベイダーは当初、そこに猫を加えることも考えたが、彼らが太古からの狩猟本能を発揮して、ヤギに襲いかかることを危惧して思いとどまった。そのかわりに、イーストビレッジのとある店から猫を引き取って育てることを来場者たちに勧めた。猫の里親になった者が、ベイダーの彫刻のオーナーになる、という仕組みだ。
ニューヨークのアレックス・ザカリー・ギャラリーで2010年に開催された展覧会では、また別の異色の作品、《カンガルーとロブスター》という写真を展示した。やや困惑した表情を浮かべたカンガルー。そしてその足もとの地面にロブスターがいる、という写真だ。いったいどうやって思いついたのか。さらに重要なのは、なぜこんなものを作ったのか。それが、ベイダーの作品に決まって投げかけられる疑問だ。
そんな作品を生み出すベイダーは、当然のことながら、パレルモで私たちを取りまいているようなヨーロッパ芸術の伝統の世界の住人ではない。だが、かつて芸術家たちに意味を与えてきた宗教的な文脈が消滅してしまったことを、彼が懸念しているというのは、私には驚きだった。
「現代アートは、その本質からみても変容しやすく根拠に乏しい命題であり分野だ」と彼は私に言った。グーグルマップに導かれて歩いていた私たちは、サン・カタルド教会の、清潔で落ち着いた、アラブ・ノルマン様式の左右対称のドームを抜けて、ごちゃごちゃしたゴシック様式の大きなカテドラルに出た。「僕はいつもこういう“断層”の存在を感じるんだ。たぶん、必要以上に敏感だと思う。よくわからないけど、たぶん、パラノイアだな」。彼は常に意味が見つかりそうな場所を探し、それをどう定義づけるかを模索していると言った。だが、そういう試行錯誤が「いわゆる骨折り損」だと気づいてしまうことも、しばしばだという。