BY NAOKO AONO, EDITED BY JUN ISHIDA
独学で建築を学び、1969年に建築設計事務所を開設して以来、つねに挑戦を続けてきた安藤忠雄。長屋を切りとってコンクリートの箱を挿入した「住吉の長屋」、「地中美術館」に代表される直島での一連の作品、海外でのプロジェクトなど、数多くの建築作品を手がけてきた。彼のおよそ半世紀に及ぶ活動を振り返るのが、東京・六本木の国立新美術館で開かれる『安藤忠雄展─挑戦─』だ。美術館の庭に代表作のひとつ「光の教会」が原寸でつくられるのをはじめ、30年間にわたる直島での仕事を一望できる大型の模型など、約270点に及ぶ模型やスケッチが並ぶ。
「建築は実際に体験してみなければわからない。とくに建築の専門でない人はスケッチや写真を見ても、それがどんな空間なのかは想像しにくいでしょう。私はル・コルビュジエの『ロンシャンの礼拝堂』で、光のもとに信者さんたちが集まっているのを見て感動しました。展覧会に出品する『光の教会』の原寸大は、そんな体験を味わってもらいたいと思ってつくったんです」
安藤の事務所は大阪北区の一角にある。大阪に生まれ育った彼はこの地から拠点を移すことはなかった。「建築というのは根をつくることなんです。大阪は私のふるさとであり、根があるところ。これからも大阪でやっていきたい」と彼は言う。
「私は、住まいには魂があると思っています。安藤さんはなぜ自邸をつくらないのか、とよく聞かれるんですが、私の魂の住まいはこの事務所なんです。建築は、『光の教会』のように住み手、使い手が魂を残すところであるべきだと私は考えています」
彼はまた、ただ単に自分の作品として建築を設計するだけでなく、「社会に対して自分にできることは何か、と考えながらやってきました」とも言う。そのために、建築によって人々をつなげるだけでなく、建築以外の活動にも積極的に取り組んでいる。大阪では毛馬桜之宮公園全域と中之島公園を結ぶ一帯を中心に3000本の桜の木を植える「桜の会・平成の通り抜け」の活動に取り組んだ。阪神・淡路大震災や東日本大震災の遺児の育英会を立ち上げ、企業や市民に募金を呼びかけたのも安藤だ。瀬戸内海の島々や沿岸部では美術館を設計するだけでなく、地域の植生に合わせた木を植える「瀬戸内オリーブ基金」活動も続けている。