最も近代的な都市、ソウルの一角に新たに開発された地区で、続々と復活する韓国の伝統的家屋。そこでは韓国流スローライフが定着しつつある

BY SONJA SWANSON, PHOTOGRAPHS BY JEONGMEE YOON, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 4年前、地下鉄で勤務先のIT企業に向かうイ・ビョンチョルの目に飛び込んできたのは、ソウルの北にそびえる北漢山のふもとに宅地開発された恩平(ウンピョン)韓屋村の広告だった。そこでは韓国の伝統的な瓦屋根の家屋「韓屋(ハノク)」が売りに出されていた。ここ数百年のあいだ、韓屋はどんどん取り壊され、鉄骨の高層ビルに取って代わられてきた。実際、1930年代以降、新たに韓屋が建てられたことはほとんどなかった。

画像: 恩平韓屋村のほとんどの韓屋は、自然の地形を反映するように建てられている。この茶室の窓からは、赤松の木がまるで額縁で切り取ったようにくっきりと見える ほかの写真を見る

恩平韓屋村のほとんどの韓屋は、自然の地形を反映するように建てられている。この茶室の窓からは、赤松の木がまるで額縁で切り取ったようにくっきりと見える
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 グローバルな都市化の波にさらされて、その土地固有の建築様式が衰退するのは今に始まった話ではない。だが、伝統的な韓屋はとりわけ現代の都市生活の対極にある。韓屋に入って腰を下ろすとすぐに気づくのは、音や光がさまざまな方向から流れ込んでくることだ。音も光も、松材の梁に吸い込まれ、窓に貼られた淡い色の韓紙を通して拡散する。新築の韓屋から漂う針葉樹の爽やかな香りは、年月の経過とともにプーアール茶や湿った木の皮のようなやわらかな香りに変化していく。重心が普通の家より低い韓屋は、まるで繭(まゆ)に包まれているような感覚をもたらす。放射暖房の「オンドル」が設置されているため、住人は暖かい床の上に座り、仕事をしたり眠ったりすることができる。

 韓国人なら誰でも韓屋がどんな感じかを表現することができるが、韓屋そのものの定義はずっとあいまいなままだった。「韓屋」とは単に「韓国の家屋」という意味だが、19世紀後半の開港によって国際貿易が始まり、朝鮮半島に西洋建築が導入されるまで、「韓屋」という言葉は使われていなかった。それまで「韓屋」は、「家」を指す言葉にすぎなかったのだ。木の梁の上に、黒くすすけた波型の粘土瓦の屋根を載せた現在の韓屋のスタイルは、15世紀の初期の韓屋を再現したものだ。韓国政府は2015年、解釈の余地を広く残しつつ、「韓屋」を「韓国の伝統的な建築様式を反映した柱や桁、屋根などで構成され、韓国の伝統的な建築様式に基づいて建てられた木造の建築物」と法的に定義づけた。

 初期の韓屋がソウルの街並みから次々に姿を消し始めたのは、1900年代初頭のことだ。王宮周辺の土地の多くは、日本の植民地支配によって荒廃するままになっていたが、没落しつつある李氏朝鮮時代の貴族階級がまだそこに暮らしていた。当時ほとんどの韓屋は農村部をモデルに造られ、低い壁に囲まれた広い土地の中にいくつかの建物があった。

韓国の伝統文化を守ろうとする文化的ナショナリストで起業家のチョン・ソグウォンは、この荒廃する町にチャンスを見いだした。従来の広大な敷地をいくつもの土地に分割し、小さくなった土地に合わせて個々の韓屋を改修した。こうして現在の、こぢんまりした軒の短い家屋が密集する都市型の韓屋が誕生したのである。

 

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