最も近代的な都市、ソウルの一角に新たに開発された地区で、続々と復活する韓国の伝統的家屋。そこでは韓国流スローライフが定着しつつある

BY SONJA SWANSON, PHOTOGRAPHS BY JEONGMEE YOON, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 チョン・ソグウォンのソウルの都市構想は、韓国人のアイデンティティに根ざした現代的な都市景観を作り上げることだった。だが、歴史がもたらしたのは別の計画だった。日本の植民地政府は、現代朝鮮語辞典の編纂に関与した罪でチョンの土地を没収したのだ。第二次世界大戦とその後の朝鮮戦争を経て、1960年代に韓国の復興が始まると、ソウルで増加した中流階級の人々を惹きつけたのは韓屋ではなく、高層の集合住宅だった。東京やロンドンなどの世界の主要都市では第二次大戦で壊滅的被害を受けた国土に現代的な都市が建設されたが、ソウルは朝鮮戦争が勃発するまで甚大な被害を受けることはなかったのである。

しかし朝鮮戦争が終わると、不動産開発業者はソウルを近代化することを決意した。そして、それは飢えと絶望を経験した国にしか理解できない、自国の文化や伝統を否定する自虐的な形で行われた。結果、伝統的な韓屋はまったく保存に値しないものとみなされるようになってしまった。ル・コルビュジエに師事したソウルの著名な建築家で、韓国近代建築の巨匠と称される金重業(キム・ジュンオプ)は、その優れた専門知識と経験にもかかわらず、1980年代初頭まで韓屋の保全を訴え続けなければならなかった。1981年、伝統的な韓屋について彼はこう記している。「高く突き出た瓦屋根の曲線、下に向かって流れるような勾配は、昔ながらのわらぶき屋根の趣のある美しさをそこはかとなくしのばせる......世界中どこを探しても、これほど素晴らしいものはない」

画像: イ・ビョンチョルの自宅「ナク・ナク・ホン」のメインリビング。放射暖房のオンドルで暖められた床の上で、家族がゆったりくつろぐことができる ほかの写真を見る

イ・ビョンチョルの自宅「ナク・ナク・ホン」のメインリビング。放射暖房のオンドルで暖められた床の上で、家族がゆったりくつろぐことができる
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 現在のソウルは、人口1000万の近代的な都市として知られている。「ヴィラ」と呼ばれるエレベーターのないレンガ造りの5階建てのアパートや、ル・コルビュジエにインスパイアされた白いコンクリートの集合住宅、ガラスと鋼鉄の超高層マンションが建ち並び、それらが韓国の住宅ストック全体の60%を占めている。

 にもかかわらず(あるいは、おそらくそのせいもあって)、韓屋の魅力は今でも衰えていない。ソウルの中心部にある北村韓屋村には、ソウルに現存する11,000軒の韓屋の3分の1が集中し、毎年何千人もの観光客や地元の人々が訪れる。その多くがカフェやショップ、ゲストハウスに改装されている。また、年季の入った韓屋でしか味わえない本物の雰囲気を求めて、セカンドハウスを探しにやってくる人もいる。4年前に地下鉄の広告で恩平韓屋村のことを初めて知った54歳のイ・ビョンチョルは、それまでも「引退したら韓屋のゲストハウスでも経営しよう」と妻と冗談のように話していた。

ところが、いくつかの昼のトーク番組で韓屋村のことが紹介されたのを見て以来、それがソウルでの「第二の人生の夢」となった。それでも彼は自分の韓屋を新築できる機会が訪れるとは夢にも思わなかったし、都会で生活する人間には望むべくもない話だと思っていた。しかし、韓屋建築のスペシャリストである韓国系ドイツ人の建築家ダニエル・テンドラーはこう語る。「建築環境は社会そのものを反映する。ゆえに、文化的アイデンティティを強く求める社会にこたえる形で、恩平韓屋村が誕生したのだ」

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