古いものと新しいもの、世界各国の趣向と英国らしさを情熱的に組み合わせ、部屋にありったけの色と模様を詰め込む――。英国を代表するインテリア・デザイナーたちは今、この国ならではの奇抜さを前人未踏のレベルまで極めようとしている

BY NANCY HASS, PORTRAIT BY DANIEL STIER, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 灰色の時代に、灰色の空の広がる島国で、濃い鮮やかな色彩に浸るのはいちばんわかりやすい“反抗”のサインだ――そう語るのは、29歳のルーク・エドワード・ホールである。彼はペントレアスのもとで働いたあと、2015年に自身のスタジオを開いた。「世の中が憂鬱で満ちているときは、なおさら強い心で挑戦していかなくては」と彼は言う。ホールがデザインした陶器やランプや家具は、リバティ・デパートで販売されている。

彼はニューキングスロードにある「タリスマン」のアンティークショールームの天井からムラーノ・ガラスでできた魚のオブジェを吊るし、まるでディスコのVIPルームのようにしてしまった。だが、ソーシャルメディアで評判を呼んだのは、パートナーでクリエイティブ・ディレクター兼デザイナーのダンカン・キャンベルと一緒に住んでいるカムデンの自宅アパートのほうだ。このおかげで、ホールは今活躍している英国デザイナーたちのマスコット的な存在になった。昨年、彼が自宅の壁の色を濃い緑色からベビーピンクに変えたときは、仲間うちでちょっとした話題になったほどだ。

ルーク・エドワード・ホール

画像: ルーク・エドワード・ホールの寝室。ヒョウ柄のカーペット、大理石模様の壁紙、ピンク色のスカラップ型で縁取られた鏡、ピエール・フレイの布が貼られたベンチ OWEN GALE / HOUSE & GARDEN © THE CONDÉ NAST PUBLICATIONS LTD.

ルーク・エドワード・ホールの寝室。ヒョウ柄のカーペット、大理石模様の壁紙、ピンク色のスカラップ型で縁取られた鏡、ピエール・フレイの布が貼られたベンチ
OWEN GALE / HOUSE & GARDEN © THE CONDÉ NAST PUBLICATIONS LTD.

 同業者たちと同様、ホールはグロスターシャーとウィルトシャーに建つ社交界の大物たちの巨大な別荘からデザインのヒントを得ている。ふたつの世界大戦のあいだにできたこれらの別荘は、想像もつかないような鮮やかな色使いの内装で、狂気じみた奇抜さの頂点を極めていたのだ。なかでも彼が特に影響を受けたのは、セシル・ビートンが住んでいた邸宅だ。ファッション・フォトグラファーで衣装デザインも手がけたビートンは、ソールズベリーから20マイル(約32㎞)ほど郊外の場所にある「アシュコンベ・ハウス」の薄紫色をした煉瓦の壁をひと目見た瞬間、その虜になったと書いている。

彼はその家を1930年から1945年まで借りていた。ブロードチョークにある「レッディッシュ・ハウス」には、1947年から1980年に彼が亡くなるまで住んでいた(彼はその近くに埋葬された)。ビートンは『The Gainsborough Girls(ゲインズボロの娘たち)』(推定1950年)という劇で手がけた衣装をその屋根裏にしまっており、そこは屋根裏部屋の真ん中に突如として現れたパステルカラーの聖堂のようだった。

マーティン・ブルドゥニズキ

画像: ブルドゥニズキがデザインした「アナベルズ」のフラワー・ルーム。ソンギ・ディ・クリスタロ作のベネチアングラスのシャンデリアから、刺繡が施されたピエール・フレイのシルクの壁、ヤン・カーの絨毯まで、花が多彩な柄で表現されている JAMES McDONALD, COURTESY OF MARTIN BRUDNIZKI

ブルドゥニズキがデザインした「アナベルズ」のフラワー・ルーム。ソンギ・ディ・クリスタロ作のベネチアングラスのシャンデリアから、刺繡が施されたピエール・フレイのシルクの壁、ヤン・カーの絨毯まで、花が多彩な柄で表現されている
JAMES McDONALD, COURTESY OF MARTIN BRUDNIZKI

「アナベルズ」は昨年、完全会員制のクラブとして再オープンしたが、純白やあずき色、灰白色はどこにも使われていない。その代わり、ブルドゥニズキは虹色の空間をつくって「ルールーズ」と張り合った(このふたつのクラブは実際、熾烈なライバル関係にある)。「ローズ・ルーム」はカーネーション色と白っぽい緑で彩られ、天井には金色の葉が描かれたパネル飾りがついている。女性用の化粧室は壁も天井もすべてがピンクでシャンデリアが輝き、まるで宝石箱のようだ。

ブルドゥニズキは、ロンドンの「ブルームズベリー・ホテル」や、マンハッタンの「ビークマン・ホテル」の受付エリアも、これと似たようなクラブ風の雰囲気でデザインしている。この室内建築家にとって色彩は、いまだに新鮮で魅力あるものなのだ。英国に住んで20年近くになるが、彼が育ったのはスウェーデンのストックホルムのモダンな家だった。スウェーデンでは室内に明るい色彩を採り入れることはほとんどない。

画像: 6人のデザイナーの着想源となったインテリアから。 1950年にナンシー・ランカスターが自ら壁を黄色に塗った居間 SIMON UPTON/THE INTERIOR ARCHIVE

6人のデザイナーの着想源となったインテリアから。
1950年にナンシー・ランカスターが自ら壁を黄色に塗った居間
SIMON UPTON/THE INTERIOR ARCHIVE

ポーランド人の父とドイツ人の母を持つ彼は、若い頃は質実剛健で中間色を使うミニマリストたちに心酔しており、特にイラク生まれの英国人建築家ザハ・ハディドを崇拝していた。だが、建築を学ぶため英国を訪れたことによって、自分の内面の可能性が思いがけず完全に“解放” された、と彼は言う。シビル・コールファックスとジョン・フォウラーが設立したロンドンのインテリアデザイン会社のあった建物の上の階に、英国のインテリア&ガーデニング・デザイナー、ナンシー・ランカスターのアパートがあった。彼はその部屋の太陽の光のような黄色の壁、見事な花綱装飾が施された居間を見て以来、その光景が頭から離れることはないという。

「彼女はいちばん大事なのは色ではなく、色調だと知っていたんだ」と彼は言う。「同じ周波数で振動していれば何を使ってもいいし、使えるものには限りがない」。35歳のベアタ・ホイマンも同じくスウェーデン人で、彼女は英国社交界の現役の装飾家であるニッキー・ハスラムの弟子だ。ちなみにハスラムは現在70代だが、ナイトクラブのパフォーマーとしてもまだ現役で活躍している。ホイマンは自分が手がけるインテリアでは力強い空色をピンクやオレンジなどと合わせるのが好きだ。一方リタ・コーニグは、スイカの赤とパウダーブルーの組み合わせがいいという。

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