神奈川県・真鶴の服飾メーカー、スクランプシャス。よいと信じるものをこつこつと作り、独自のやり方で発信してきた。小さいから、手も目も届く、想いも伝わる。スローでスモール、けれどスペシャル。時代の風に揺らぐことのないものづくりの場を訪ねた

BY OGOTO WATANABE

 東京駅から電車に揺られ約1時間半。いつのまにか窓のむこうは海だ。眺めているうちに真鶴駅に到着。改札を出ると、こぢんまりしたロータリーの上に空が大きく広がる。

 バスに乗りこみ、岬に向かう坂道をわくわくと進んでいく。「ひなづる幼稚園前」という停留所で降り、少し戻って細い坂を下る。右側、「SOJI BŌKEN(ソジ ボーケン)」と書かれた小さな看板を手がかかりに、笹に縁どられた段々を降りていくと、突然ぽっかりと視界が開け、樹木に包み込まれた空間に平屋が佇む。からからと引き戸を開け、三和土(たたき)で「こんにちは」と声をかけ、あがりこむ。こざっぱりとした部屋に、袖がふくらんだブラウスやワンピースがゆったりと並んでいる。広い窓の外は縁側、その先に庭が広がり、生い茂る樹々のあいだに薄青い海が見える。遠い夏休み、田舎のおばあちゃんの家に遊びに来たかのよう。

画像: 2019年初夏のSOJI BŌKEN。風が抜けていく気持ちのよい店内には、仕立てあがったばかりの服のほか、友人でもある作家たちの作品も並んでいた。2020年6月、ゆるやかにつながってきた彼らの手仕事や作品を扱うウェブサイトも始動 PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

2019年初夏のSOJI BŌKEN。風が抜けていく気持ちのよい店内には、仕立てあがったばかりの服のほか、友人でもある作家たちの作品も並んでいた。2020年6月、ゆるやかにつながってきた彼らの手仕事や作品を扱うウェブサイトも始動
PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

 一年前、令和の幕が上がったばかりの頃、スクランプシャスのお店「SOJI BŌKEN」を訪ねた。スクランプシャスは、中山靖(やすし)さんと則美(のりみ)さん夫妻が営む服飾メーカーだ。ふたりは真鶴に住み、服をこしらえ、不定期ではあるが月に数日間“オープンデイ”と称してお店を開ける。服や小物をゆっくり眺めたり、おしゃべりしたり。敷地内にもうひとつある家屋では、料理家の手によるランチやお菓子、お茶を楽しむこともできる。ご近所さんが、顔を出す。都心からも「今日は大人の遠足」と三々五々連れだってやって来る。森のなかの秘密の庭のような場所は、人々の笑いさざめく声に満ちていた。

画像: 2012年に誕生した「ボリュームスリーブ」シリーズ。ブラウスやワンピースのほか、ハオリ仕立てもある。袖が特徴のこちらはフィリピンの古い民族衣装から着想を得た。スタンダードチュニックもきっかけはハンガリーの古い民族衣装から。それぞれの民族衣装に宿る手仕事の美しさを途絶えさせたくないとの思いから、オリジナルの服の制作をはじめた COURTESY OF SCRUMPCIOUS

2012年に誕生した「ボリュームスリーブ」シリーズ。ブラウスやワンピースのほか、ハオリ仕立てもある。袖が特徴のこちらはフィリピンの古い民族衣装から着想を得た。スタンダードチュニックもきっかけはハンガリーの古い民族衣装から。それぞれの民族衣装に宿る手仕事の美しさを途絶えさせたくないとの思いから、オリジナルの服の制作をはじめた
COURTESY OF SCRUMPCIOUS

 架けられた流木に、麻のブラウスが並んで風に揺れていた。たっぷりとふくらみ、綿雲のようなシルエットを描く袖。スクランプシャスの定番、「ボリュームスリーブ」だ。仕立て上がったばかりのこのブラウスに合うのも、お客さんたちの楽しみのひとつだ。

 ブラウスは、靖さんと数名の“お針子さん”たちがミシンと手縫いで仕立てている。「袖のギャザーは指で一個ずつちっちゃなプリーツをつくって重ねて、きゅうっと引っ張って作るんです」と則美さん。さざ波が寄せるような構築的なフォルムを描きつつ、腕を通せば、風をまとうように軽やか。それは、人の手の“塩梅”と息づかいが成せるものなのだろうか。首のうしろを留める小さなボタンは、手毬のようにきっちりと銀糸でくるまれている。よく見れば、身頃の意外なところに、手縫いのステッチがひそやかに丁寧に仕込まれている。

 靖さんが「服を作りたい」と思ったのは、18歳の頃。幼少期の二年ほどを父の仕事の都合でユーゴスラヴィアに暮らし、その後は北海道で育った。「服を作ってはいたものの、どういう風に活動していいか見当がつかなくて。札幌の街中の古着店に持込んだのです。そこのオーナーが、いい方で」。店番しながら片隅に自作の服を置いてもらい、やがて古着の買付けにも携わるようになった。各地で山のような古着を見るうちに、靖さんはブランド物ではない、誰かが手縫いした服に目をとめる。「お裁縫の得意なおばさんが誰かのためにこしらえた、そんな服が昔の日本にはすごく多かったんですね。手縫いの部分も含めて実に細やかに作られているんです。そういう服に多く触れたことは、自分にとってすごく勉強になっていたのかなと、いまになって思います」

 ふたりは1999年、知人の引越祝いの場で出会った。波長が合い、その後もなんとなく連絡を取るように。「私は東京にいて、外資系の会社に勤めたあと独立して、パソコンやウェブデザインの仕事をしていたんです。ある時、札幌からヤッちゃんが、段ボールで手作りした小箱に切手をペタっと貼って、香水の小さなサンプルを送ってきたんです。いい香りをもらったからって。それが私には衝撃でした。うわ、これ封筒に入れずにこんな風に送れるの⁉って」。いわゆる“規格品”的な人間だったので、と則美さんは自らを言う。会社を背負って生きているような男性や、社名や肩書がものをいうような周りの様子になんとなく馴染めなさを感じていた則美さんに、靖さんは“自由で面白い人”と映った。「この人、ヘンだなあって。でも嘘がなく、自分を大きく見せることを全くしないのが心地いいなって」

画像: SOJI BŌKENの前で。中山靖さん・則美さん夫妻。ふたりで様々なアイデアを話しあいながら、制作は靖さん、運営や企画、冊子の文章などは則美さんが主に手がける PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

SOJI BŌKENの前で。中山靖さん・則美さん夫妻。ふたりで様々なアイデアを話しあいながら、制作は靖さん、運営や企画、冊子の文章などは則美さんが主に手がける
PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

 やがて靖さんが上京し、則美さんの笹塚のマンションへ。6畳一間で古着のウェブショップを始めた。21世紀になるとふたりは代官山の「うぐいす住宅」に移り、予約制のショールームをオープン。訪れたひとはお茶を飲みながら服をゆったり選んだ。この頃から海外各地へ買い付けの旅に出るようになる。2004年、鎌倉へ移り、その後、由比ガ浜に路面店を構える。

「付き合っていくと、僕よりノンちゃんのほうがもっと自由だった(笑)。鎌倉の海のそばに住みたい、その次は、いいね真鶴、ここに住もう! とか。そういうとき先陣切って切り拓いていく」。2011年、ふたりは真鶴半島に拠点を移す。則美さんの母の介護と看取り、そして東日本大震災を経て、思うところがあり新たな場を探していた。ある日、ふと訪れた真鶴に惹きつけられた。「後日、軽い気持ちで不動産屋さんに電話して“海の見える一軒家ないですか?”と聞いたら、“ありますよ”って。大家さんがまたいい方で、リフォームするならもうやっちゃいなさいと気っぷよく言ってくださり。まるでいろいろなことが転がって、何かに導かれるように真鶴へ」と則美さんも笑う。高台に立つその家は住まいとアトリエを兼ねた場となった。

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