武蔵小金井駅から徒歩数分。そこだけ静かな気に満ちた由緒ある尼寺に、ひっそりと伝えられる美食がある

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY PARKER FITGERALD

 一般的な尼僧のイメージとはかなり違った、香栄尼のアクティブな人柄が伝わるエピソードは数多い。尼門跡の流れを汲む尼寺には檀家がない。昼に精進料理を出して収入を得る方法を考案したのは、香栄尼。車の免許も取得し、寺の経営の助けになればと東京・赤坂の料亭の女将の秘書になって経営を学んだ。また境内で料理教室を始め、曇華院の長細い煎茶盆を見るや、料理教室用に細長いお盆(写真下)も特注した。

画像: 料理教室の献立は、臨済宗で持鉢器と呼ばれる入れ子の漆器に盛っていただく。右から、青梅煮、なすの枝豆和え、胡麻豆腐、お麩ときゅうりのお吸いもの、しそのおばん(ご飯)

料理教室の献立は、臨済宗で持鉢器と呼ばれる入れ子の漆器に盛っていただく。右から、青梅煮、なすの枝豆和え、胡麻豆腐、お麩ときゅうりのお吸いもの、しそのおばん(ご飯)

 1980年代には、三光院のレシピをまとめた精進料理を何冊か出版。その英訳本が高く評価され、香栄尼はニューヨークへ招かれた.。『ニューヨークタイムズ』のフードジャーナリスト、クレイグ・クレイボーンに燻製の魅力を教わると、帰国後すぐに庭に燻製小屋を建てた。祖栄尼が作る豆腐の味噌漬けを燻製にしたところ、これはおいしいと三光院の料理のひとつとなった。

画像: 西井が「香栄豆腐」と命名した燻製味噌漬け豆腐。「香栄尼さまの名前がずっと残るようにと願っています」。一昨年秋から、三光院の手みやげとして登場した

西井が「香栄豆腐」と命名した燻製味噌漬け豆腐。「香栄尼さまの名前がずっと残るようにと願っています」。一昨年秋から、三光院の手みやげとして登場した

画像: その形が琵琶に似ていることから、京都・寂光院の琵琶「木枯らし」にちなんで命名されたなすの田楽。ひと振りの柚子が香り高い。香栄尼作

その形が琵琶に似ていることから、京都・寂光院の琵琶「木枯らし」にちなんで命名されたなすの田楽。ひと振りの柚子が香り高い。香栄尼作

 三光院の料理を現在任されている西井香春は、現在、86歳の香栄尼を24時間介護し、お昼の精進料理だけでなく、料理教室も受け持っている。畑の世話、庭の手入れも彼女の仕事だ。

 もともとはフランス料理の研究家。テレビや雑誌で活躍し、レシピ本を何冊も出版。フランス料理の教室も主宰していた。そんな彼女が、20年前から三光院に住み込み、精進料理の後継者となったのはなぜだろう。本名は西井郁。女優・岸惠子の従妹である。14歳で母を亡くし、その後、単身パリへ。当時、岸の結婚相手だったイヴ・シャンピ邸に寄宿することになった。プロデューサー兼映画監督であり、医師でもあったシャンピの家には、毎日大勢の来客があり、腕がいいと評判の料理人を抱えていた。西井は毎日、厨房に入り浸り、料理を覚えたという。20歳で帰国し、その後20年ほどは日本とパリを行ったり来たりしながら、日本でフランス料理を教えていた。

「私は10代でフランスへ行ってしまったので、日本文化への憧れが人一倍強かったの。フランス料理を仕事にしながら、日本文化を学ぶ場所を探していて、三光院にたどり着いたんです」。数年間は、三光院と都心のマンションを往復していたが、最後の生徒を送り出すと、自分の料理教室をたたみ、以後、三光院で生活している。

「私にとって、こんなに素敵な料理はほかにありません。最初はここでフランス料理を教えたり、雑誌に頼まれて、フレンチスタイルの精進料理を作ったりもしました。でも、三光院の料理は完成されていて、手を加える必要のないことが、つくづくわかったのです。料理のプロとして技術的な面は改良しましたが、レシピを変えたりしたことはありません。ここでは、料理のテクニックより大切なことを数多く学んできました。香栄尼さまから、感動する心を教えていただいたのです」

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