「The Asia’s 50 Best Restaurant 2020」でベストペストリーシェフを受賞し、村上 隆とのコラボスイーツを発表するなど、一躍日本を代表する女性シェフに躍り出た庄司夏子。その歩みの背景には、この新たな時代をともに生きようとする女性たちへの想いが込められている

BY YUKA OKADA

 東京・渋谷で一日一組限定のフレンチレストラン「été(エテ)」を営むオーナーシェフである庄司夏子に初めて出会ったのは昨年、GINZA SIXがVIP向けにさまざまなクリエイターを招いて定期的に開催しているイベントでのこと。ゲストスピーカーとして登壇した彼女は入手困難な自身のシグネチャーであるバラの花びらを型取ったマンゴータルトケーキ、その名も「Fleur d’ été(フルール・ド・エテ)」を、ケーキのものとは思えないお洒落なボックスに手際よく盛り付け終えると、司会の男性に向かって次のように語りかけた。

「高校のときにルイ・ヴィトンのモノグラムにフラワーを描いた村上 隆さんの作品に感動して、コラボアイテムのキーホルダーを手に入れて以来、どうしてもお仕事をご一緒したくて。会えるとなればオリジナルのケーキをつくって持っていくので、紹介してくださいませんか? チャンスは待っていても巡ってこない。夢というものがどうもふんわりしていて好きじゃないので、具体的な目標を言葉にしてそれを達成することで、いかに特別なお客様にサプライズを与えられるかと考えています」

画像: 庄司夏子(NATSUKO SHOJI) 1989年、東京都生まれ。フランス語で「夏」を意味する店名の「été」は「夏子」という自身の名前から

庄司夏子(NATSUKO SHOJI)
1989年、東京都生まれ。フランス語で「夏」を意味する店名の「été」は「夏子」という自身の名前から

 これは進行役のキャスティング会社の代表が村上 隆と親しい関係にあることを踏まえたうえで、公共の場を借りての確信犯的な発言だったのだが、ご存じ日本が世界に誇る大アーティストを指名する度胸にはたまげた。そしてそれよりもなによりもこの3月、村上 隆がオーナーを務める東京・中野ブロードウェイの「バー・ジンガロ」とのコラボスイーツを早くも発表し、ほとんど同時期に世界の食の識者たちの投票によって1位から50位までランキングを決定する「The World’s 50 Best Restaurant」のアジア版「The Asia’s 50 Best Restaurants」で、栄えある「ベストペストリーシェフ」に輝いたことにも。ファッションをガストロノミーに融合させたクリエーションが評価され、日本人女性シェフとしては初めてこのアワードに名を刻んだわけだが、ガストロノミーの世界も我が国では政界同様に他国に比べ女性が少なすぎる現実からして、その功績は実際以上に大きい。

画像: 今年の3月に限定発売された村上 隆とのコラボスイーツ。庄司のシグネチャー「フルール・ド・エテ」の上に七色の飴細工で村上フラワーを。他にショコラも販売

今年の3月に限定発売された村上 隆とのコラボスイーツ。庄司のシグネチャー「フルール・ド・エテ」の上に七色の飴細工で村上フラワーを。他にショコラも販売

「もともと“ベストフィメールシェフ”を目指していたのでちょっと驚きましたが、男女差がないぶん“ベストペストリーシェフ”のほうが難しいとも言えるかもしれないし、本格的なパティシエでないシェフの私が受賞できたことは、素直にうれしいです。でも、だからといって日本では女性のシェフはまだまだ増えないとも思います。飲食業界は重労働にもかかわらずリターンが少ないし、100パーセントを仕事に捧げないと上に立てない。『家庭があって子供もいるんです』というのは理想ですが、両立できるほど甘くない。特に日本は未だに『女性は家事をしていればいい』みたいな意見も少なくないと感じます」

 受賞について冷静にそう分析する庄司が言わんとしているのは、ひと握りの成功者だけが持つ覚悟ともいえる。自身は決してメディアに出たいタイプの人間ではない。しかし、受賞を次へのパスポートととらえてこうして露出をしていくことも、それこそ村上隆とのコラボレーションにしても、憧れを持たれる人間になることで飲食業界にもファッションやアート業界のようにステイタスを持たせ、女性でも料理人になりたいという仲間が増えて欲しいと願うからこそだ。

画像: エテを訪れた村上 隆(左)と。庄司は飲食業界の課題と同時に、「アートと協業することで料理人の価値を上げたい」との思いを伝えたという。コラボレーションをきっかけに、店内には村上の絵も飾られた PHOTOGRAPHS: COURTESY OF ÉTÉ

エテを訪れた村上 隆(左)と。庄司は飲食業界の課題と同時に、「アートと協業することで料理人の価値を上げたい」との思いを伝えたという。コラボレーションをきっかけに、店内には村上の絵も飾られた
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF ÉTÉ

 料理に目覚めたのは小学校時代。家庭科の授業でオーブンの中のシュークリームが膨らむ様子にいたく感動し、自家製のそれを友人に配りまくったところ「シュークリーム屋さんになったほうがいい!」と喜んでもらえた。中学を卒業すると調理師免許が取得できる高校を探して進学。在学中に恩師の紹介で同じ高校の卒業生である現「フロリレージュ」の川手寛康と知り合い、そこから川手が「ル・ブルギニオン」で修業していた頃の同期で現「ア・ニュ ルトゥルヴェ・ヴー」の下野昌平が任されていたミシュランの星を持つ「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」を紹介され、研修生としてキッチンに入った。卒業後はそのまま就職し、下野の独立に伴い、今度は立ち上げ前の「フロリレージュ」へ。スーシェフとして川手の元で三年間、ときにはふたりで厨房を回すなどあらゆる仕事を経験できたことは財産になったと振り返るが、その一方で父親を看取れないほど仕事に没頭してしまったことを自省し、21歳のときに一度、料理人を辞めたという。

「お客様はレストランに夢を見に来ている。そこに私事の現実を持ち込んじゃいけないという意識があるんです。ワクワク感を台無しにしたくないし、そうでなければ次はない。だから『親が死にそうだからといって夢の空間を放棄しちゃいけない』と思って、夜の仕込みを完全に終わらせてから亡くなった父と対面したんですけど、『親にこんなことをしているのは私くらいだろうな』とふと我に返ったんです」

 

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