BY KOTARO KASHIWABARA

伊勢海老の麹納豆蒸し
三重県松阪市といえば「松阪牛」。「和田金」「牛銀」というふたつの老舗牛肉料理店が有名で、すき焼きやしゃぶしゃぶを楽しむ観光客も多い。いっぽう、江戸時代から伊勢神宮への参詣客が立ち寄る宿場町としても知られ、多くの豪商も生まれている。なかでも三井物産や三越で知られる三井財閥は松阪市を祖とし、2024年には開業350年を迎えた。
しかし今回、私が訪れたのは松阪牛を食べるためではない。いまや2年先まで予約が埋まっていると評判の中国料理店「私房菜 きた川」を訪れるためである。日本全国にある、わざわざ訪れるに値するレストランを表彰する「デスティネーション レストラン 2024」で、わずか10軒のうちの1軒に選ばれているのだ。
「私房菜」とは香港にはよくあるプライベートキッチンスタイルの料理店のことだが、きた川も1日1組限定の完全予約制。予約さえすれば2名からでも営業するし、時間も事前の打ち合わせ次第だ。
松阪駅から車で20分ほど。店は周りを水田に囲まれ、以前は養蚕農家だった古民家を改装した。

オーナーシェフの北川佳寛さんと奥様
オーナーシェフの北川佳寛さんは松阪市で生まれ、その後、大阪の調理師専門学校に進んだ。そこで講師として訪れた、渋谷区神泉でヌーベル・シノワの店「文琳」を経営していた河田吉功さんとの出会いが北川さんの人生を変えた。うま味調味料を使わない彼の新しい中国料理に感動し、卒業後、横浜中華街の料理店ほか数店を経て、途中で二子玉川「文琳」で修業した。
その後、いくつかの店で修業して故郷に帰ってきたのが2014年。開店したのは2015年2月のことだった。ワンオペだったので当初から予約制だったが、ランチもやる普通の中国料理店だったと北川さんは話す。

養蚕農家だった古民家を改装した一軒家が店
「ランチで見える地元のかたのために、にんにくを使わない料理を作ったりしていたのですが、あるインフルエンサーの方が紹介してくださってから県外の方が増え、せっかく来てくださるのならと地元の野菜や松阪牛、あわびや伊勢海老を使うようになったのです」
コロナ前にランチをやめ、ディナーに全力投球することでさらに料理の評価があがり、遠方からの客が増えた。高級食材を使うことが出来るようになったが、料理をするときにいつも頭に思い浮かべるのは、河田さんならどうするかということ。
「河田さんは常に新しい綺麗な油を使い、余計なものを足さない。塩だけで味が立ってくる感覚を大切にしていました。引き算の料理というより、最小限の素材と調味料で、シンプルな料理を心掛けています」

鰻、安乗河豚の白子和え、浦村の牡蠣蒸しなど地元の食材を使った前菜
この日の料理は、ピーカンナッツとアーモンドが供されてから、隠元豆やジャガイモ、人参、金時草といった季節の野菜や、鰻、安乗河豚の白子和え、浦村の牡蠣蒸しなどの小皿で料理は始まる。数は多いが少量なのと、食後感が軽快なため、かえって胃の活動が活発になっていくのがわかる。

地元の答志島で揚がったトロ鰆を使った刺身風サラダ
続いて出された刺身風サラダの魚は、地元の答志島で揚がったトロ鰆。店は海から離れたところにあるのだが、ほんの少し行けば三重県の豊饒たる海鮮食材が迎えてくれるのだ。醤油、ライム汁などを合わせたタレに葱油とごま油を加え、シェフが目の前で完成させる。
同じく地元の伊勢海老を使った麹納豆蒸し(記事冒頭の写真)にはほんの少しご飯を添えて、海老の出汁が香る麹納豆ソースも一緒にいただく。

北海道の毛蟹、岩手産帆立貝と地元のレンコンを使った春巻
春巻きは北海道の毛蟹、岩手産帆立貝だが、地元のレンコンをうまくマリアージュさせた。こうした地元以外の食材の使い方が北川さんはうまい。

上海蟹とふかひれのスープ、蕪入り茶碗蒸し仕立て
そしてきた川のスペシャリテともいえる、ふかひれ料理が登場。この日は、上海蟹とふかひれのスープ、蕪入り茶碗蒸し仕立てで、濃厚なスープが酒を呼ぶ。

地元の牛肉といえば松阪牛。本日はフィレ

地元産のエリンギにたまり醤油ソースで
そして松阪牛フィレ肉を使った四川山椒焼きがフィナーレを飾った。日本でも有数の銘柄牛である松阪牛のフィレを贅沢に使えるのは、きた川ならではの楽しみである。

安乗ふぐのスープと地元名産のあおさを使ったスープ麺

師匠譲りの担々麺

辛さを感じさせない麻辣麺
〆はふぐスープを使った地元名産のあおさを使った麺か担担麺か麻辣麺を選ぶのだが、どれも捨てがたく、北川さんにわがままを言って、すべて食べさせていただいた。3種類とも異なったスープながら、どれも食べおわっても胃にもたれない。これが、最小限のものだけで作られたシンプルな調理のおかげなのだろう。自然に「滋味」という言葉が浮かんでくる料理なのである。
「デスティネーションレストランに選んでいただいたことはとても光栄なんですが、僕はすべての食材に地元のものを使わなくてはいけないというこだわりがあるわけじゃない。無理にこだわることでかえって料理が不自然になってしまうなら、そのほうがいやだと思うからです。たとえばうちの店は地元の方も来られるので、そういう場合は松阪牛を使いません。デスティネーションレストランといっても、うちの場合は松阪市の郊外ですから、この環境に似合った料理を作っていきたいと思っています」

いちご、シャインマスカット、ラフランスの杏仁豆腐に南張メロンのシロップを

伊勢の郷土菓子「へんば餅」をモチーフにした白玉団子
デザートをいただいたあとは地元の郷土菓子のへんば餅仕立てのお茶菓子で締めくくる。北川さんの作った料理をサーブするのは奥様。開店してから知り合ったというのだが、息の合ったサービスでこちらもリラックスしながら楽しめる。
地産地消にこだわり過ぎず、自然に楽しめる料理を提供したいという北川シェフの思いが伝わり、かなりの量を平らげたにもかかわらず、翌朝も胃が軽く、連日でも行きたい店となった。
私房菜 きた川
三重県松阪市伊勢寺町1020
TEL: 0598-63-1888
公式サイトはこちら
柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』『東京いい店はやる店』。
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