BY DUSHKO PETROVICH, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)
米国大統領のオフィシャルな肖像画を制作するという伝統は、ジョージ・ワシントンの時代から始まった。その肖像画は1796年、当時のアメリカの傑出したアーティストのひとりである、ギルバート・ステュアートが手がけた。たいていの場合は任期を終えてすぐ、大統領の肖像を画家に描かせる慣習は、写真が出現した以降も、ほとんど儀式のように続けられてきた。何百年もの間、大統領の肖像画はなんの面白みのないものであり、新聞の見出しを飾ることもなければ、語り継がれる価値のある逸話になるようなこともなかった。唯一例外と言えるのは、20世紀初期に大統領を務めたセオドア・ルーズベルトの場合だ。テオボルド・チャルトランが1902年に手がけた肖像画が気に入らなかったルーズベルトは、当初、ホワイトハウスの人通りの少ない片隅に、隠すようにそれを飾っていたが、最後には燃やしてしまったのである。恥ずかしそうな表情で描かれていたことが気に食わなかったらしい。
誰かの依頼を受けて制作されたこのような作品が、アメリカの芸術において大きな意味を持つことはほとんどなかった。しかし、2017年の秋、バラク・オバマがスミソニアン博物館に飾る自身の肖像画の描き手にケヒンデ・ワイリー(ヨーロッパ、バロック様式の伝統的な技法やパターン、ポーズに基づいて、ストリートで見つけた現代の黒人や褐色の肌の男性を描いてきた肖像画家)を指名したことは、すくなくとも、オバマ夫妻がカルチャーの世界と巧みにコネクションを築いてきたことを表している。ちなみに、オバマ夫妻はアートの目利きであり、グレン・ライゴンやアルマ・トーマスなどアフリカ系アメリカ人画家の作品を、初めてホワイトハウス内に飾らせたことでも知られている。アート界におけるワイリーの存在は、政界におけるオバマのそれにとてもよく似ている。それもあり、大統領夫妻が彼を指名したことには、大きな注目を集めた。
彼が作品を発表しはじめた2000年代初頭は、多くの画家が抽象的な表現を追求していたこともあり、古典的な表現手法に回帰しようとするワイリーの作品は、常軌を逸したものと受け取られていた。しかし、ワイリーは瞬く間に名をあげた。2004年と2015年、2度にわたってブルックリン美術館で展覧会が開催され、最近ではヒップホップを題材にしたテレビドラマ『Empire/エンパイア 成功の代償』にも彼の作品が使われた。そのドラマには、ケリー・ジェームズ・マーシャルやミカリーン・トーマス、バークレー・ヘンドリックスなどの画家による肖像画も登場している。ただ、ワイリーがオバマに指名されたことが意味する、もっとも重要な点は、何十年もの間、タブーとまでは言わないまでも、時代遅れとされてきた肖像画という手法を再考させ、現代において新たな存在意義を認識させるきっかけとなったことだ。長い間、歴史博物館やカビ臭い邸宅に閉じ込められていた肖像画というものが突然、倉庫から飛び出てきたかのようだ。
言うまでもなく、何世紀もの間、肖像画は芸術そのものだった。だが20世紀の後半までにその存在意義は、ほとんどなくなってしまった。これまでも、技術革新やアートの新しいムーブメントが起こるたびに、評論家は、きまって“絵画の死”を宣告した。最初は写真技術が急激に広まったとき。続いて、既製品のアートが普及したとき。さらに、インターネットやソーシャル・メディアが台頭して、絵画、言うまでもなく肖像画は、完全に無用なものにされてしまった。一体、セルフィー時代に人の絵を描く意味はあるのだろうか? 画家のほとんどは、時代の変化に対応するかたちで、より風変わりに、より抽象的に、より実験的に作風を変えていった。具象的な造形美術は、時代錯誤的であり、停滞して面白味のないものとされ、金持ち特有の虚栄心の表れでしかなくなったのである。
しかし、ここ数年、古典派や写実派にとって肖像画はますます欠かせない、そして目立つ存在になっている。そうした傾向は、たとえばニデカ・アクニリ・クロスビーが、2017年秋にボルチモア美術館で開催した個展に表れている。彼女は、自身や夫が自宅でのんびり過ごすプライベートな様子を作品に描く。あるいは、ジョーダン・キャスティールがニューヨークのケイシー・カプラン・ギャラリーで開いた2017年9月の個展。人情味溢れる絵画で、日常の場面(スマホの画面をスクロールしたり、犬を散歩させたり、ソファに座ったりなど)における黒人を描写することが多い。あるいは、2015年にブロンクス美術館で開催されて大人気となった、マーティン・ウォンの回顧展。彼は遊び心と気骨の境界線上をいくような社会派リアリズムの絵画を描く。または、2017年2月、ニューヨークのデイヴィッド・ツヴィルナー・ギャラリーで評論家のヒルトン・アルスが開催した展覧会もそうだ。1984年に亡くなった画家のアリス・ニールによる肖像画が展示されたが、変わらぬ緊迫感と生命力に満ちていた。彼女の描く人間の虚ろな目は、まるで人生というものに向けて掲げた鏡のようで、「座っている被写体とアーティスト本人の両方から、エネルギーが注ぎ込まれている」と、アルスは展覧会用のエッセイに書いている。