長い間、アメリカのアートシーンにおいて“過去のもの”“時代遅れ”とされてきた肖像画。なぜ今、再び注目を集めているのか?

BY DUSHKO PETROVICH, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)

 絵画の世界で有色人種を排除してきたという事実において、表現の問題はまさに、”偽りの表現”の問題であることを、マーシャルやシェラルドのようなアーティストは示している。今現在活動している最も優れた肖像画家たちは、スタイルの革新性ではなく、“誰を画題として選択するか”によって、アート界に新風を吹き込んでいる。2017年のホイットニー・ビエンナーレで展示されたアーティストの中でも、特筆すべき作家のひとりと称されるのは、アリザ・ニーセンバウムだ。彼女は作品を通して、中南米からアメリカに来た“書類のない”移民たちに目を向けている。メキシコ・シティ出身の彼女は、2010年前後に自身の作風を抽象画から肖像画に転換した。それはちょうどキューバ人のアーティストであるタニア・ブルゲラが率いる「イミグラント・ムーブメント・インターナショナル」(ニューヨーク市クイーンズ区を拠点に、地域の大きな移民コミュニティに対して社会福祉サービスを提供するアート・プロジェクト)の仕事に関わっていた時のことだ。ニーセンバウムは、肖像画を仕上げるのに必要な、長く、ゆっくりと、親密なプロセスを通して、その移民のコミュニティのことをよく理解できるようになると感じた。加えて、彼らを描くことで、彼らが実生活の面においても「消された存在」であることを訴えるひとつの手段になることにも気づいた。

その後、ニーセンバウムはプロジェクトを拡大させ、移民たち自身を対象にした肖像画制作のワークショップを開いた。その仕上げとして、2017年の作品《Wise Elders Portraiture Class at Centro Tyrone Guzman. En Familia hay Fuerza with mural on the history of immigrant farm labor to the United States (賢明な長老の肖像画教室、セントロ・タイローン・グズマンにて。そしてアメリカの移民農業労働者の歴史を描いた壁画と家族の力)》には、自分たちで描いた肖像画を手に持つ生徒たちの姿を描いている。

画像: メキシコ・シティで育ち、”正式な書類を持たない”移民たちを描くことが多いアリーザ・ニーセンバウムの作品。 《Wise Elders Portraiture Class at Centro Tyrone Guzman. En Familia hay Fuerza with mural on the history of immigrant farm labor to the United States》 (2017年、リネンに油彩) では、自ら描いた肖像画を持つ移民たちをとらえた IMAGE COURTESY OF THE ARTIST AND MARY MARY, GLASGOW

メキシコ・シティで育ち、”正式な書類を持たない”移民たちを描くことが多いアリーザ・ニーセンバウムの作品。
《Wise Elders Portraiture Class at Centro Tyrone Guzman. En Familia hay Fuerza with mural on the history of immigrant farm labor to the United States》
(2017年、リネンに油彩)
では、自ら描いた肖像画を持つ移民たちをとらえた
IMAGE COURTESY OF THE ARTIST AND MARY MARY, GLASGOW

 肖像画がいかに長きにわたりアート界から姿を消していたか。最近の古典的な肖像画の復権を見るに、もっとも驚くべきはその点だ。肖像画という様式を殺した責任があるひとりと言ってもいいアンディ・ウォーホルでさえ、1982年にニューヨーク・アカデミー・オブ・アートの設立をサポートし、当時絶滅の危機にあるように思われた専門的な美術教育(中でも特に人物画)を救おうとしていた。ジュリアン・シュナーベルやデヴィッド・サーレなどの画家が率いた1980年代の「新表現主義」は、抽象芸術を魅力的な商品に変え、その人気を押し上げた。同時にアリス・ニールのような画家のリアリズム作品を時代遅れのものにした。

だが絵画は、おそらくそれ自体が古い歴史をもつため、突然復活したり、驚くべき方法でその時代に適応する傾向があるのかもしれない。2010年代にアート界の商業主義化が拡大していく中で、絵画は大量生産しやすく、部屋に飾って不快感を与えないもの、つまりインテリア・デコレーションのサブカテゴリーになった。それらは大胆な色やフォルムで彩られ、ときに花々が(ネイト・ロウマンの作品)、あるいは夕焼けが(アレックス・イスラエルの作品)描かれている。2014年、こうした流行がピークを迎えた頃、ニューヨーク近代美術館は1958年以来初めてとなる現代絵画のみで構成されたグループ展を準備した。『The Forever Now』と名付けられたその展覧会は、この時代が、常により新しい何かに置き換えられてしまうような、一時的なものばかりで溢れていることを表現したものだ。この展覧会において、肖像画も手掛けているエイミー・シルマンとニコール・アイゼンマンの2人の作品だけが、来るべき歴史的な瞬間に、古い何かが再登場して今あるものにとって代わることを示唆していた。

 だが2014年と今では、状況にさらに隔たりがある。世界のニュースが、日に日に筋書きの変わる、ぐちゃぐちゃの政治スリラーのように感じられる今、画家は、目に見える、人間味のある現実に基づいた作品を作ることで、この時代に対応しようとしている。これらの作品の大半は、表面上は、露骨に政治的なものではない。たとえば、バーベキュー・グリルでチキンを焼く女性を描いたヘンリー・テイラーの2012年の巨大な肖像画。あるいは、タバコの吸殻でいっぱいの灰皿を前に、ノートパソコンで音楽のプレイリストを作る男性を描いた、セレスト・デュピュイ=スペンサーの2016年の作品もそうだ。これらの作品はまた、こうも示唆する。混乱の時代において、人々のありのままの生活を単純に見せること以上に、必要不可欠で、挑発的な行動はないのだ、と。

 

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