BY KINIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY TOMOKO SHIMABUKURO
レモンの爽やかな香りがあたりにふわりと漂う。厚みのあるミネラルとピュアな酸味。やさしい余韻がゆっくりと口中に広がっていく。カリフォルニア・ソノマの「シックス・クロ―ヴズ」。昨年誕生したばかりの“知る人ぞ知る”ワインだ。
つくり手は日本人の平林園枝さん。カリフォルニアでもまだ数少ない女性醸造家のひとりだ。現在発売されているのは「シックス・クローヴズ シャルドネ ナカイ・ヴィンヤード 2017」1種で、記念すべきファースト・ヴィンテージでもある。冷涼なブドウ産地で繊細な酸味のワインを生み出すことで知られるソノマで、日々、真摯にワインづくりに取り組んでいる。
出身は立山黒部アルペンルートの玄関口として知られる長野県大町市。英語やアメリカの文化に興味があった彼女は、学生時代にハワイへ留学したり、1998年の長野オリンピックではスロバキアの選手団をサポートしたりと、国際交流の場に積極的に身を置いていた。日常的に英語に親しむなかでアメリカへの思いはさらに強くなり、1998年に渡米。シカゴで大手商社の丸紅に現地採用された。2年後に事務所がニューヨークに統括されたことから、平林さんもニューヨークへ。鉄鋼部門で会計の仕事を任され、公認会計士の勉強を始めたころに出会ったのがワインだった。
「ニューヨーク郊外の『ザッキーズ』というお店にデイリーなワインを買いによく通っていましたが、その頃はカリフォルニアワインにはまだ縁がありませんでした。ある日、ロックフェラーセンターの一角にある高級ワインショップ『モレル』で、ふと店員さんに『ブルゴーニュはこんなに高くて、しかも当たりはずれが多いのになぜ扱うのか』と尋ねたんです。そのとき『すばらしいワインに当たったときは涙が出るくらい感動する、とお客さんが言うんだよ』と店員さんが言うのを聞いて、俄然、ワインへの興味が強まったんです」。著名なワイン評論家ロバート・パーカーJr.の“パーカーポイント”が一世を風靡し、高価なワインが飛ぶように売れていた頃のことだ。
「ウォールストリートで働いていると思しき人々は、通勤電車の中で『ウォールストリート・ジャーナル』やワイン専門誌の『ワインスペクテイター』を読んでいました。ワインを先物取引の対象として見ていたんですね。ある日、隣の座席の人が読んでいた『ウォールストリート・ジャーナル』の中に、カリフォルニア大学デービス校醸造学科の奨学金の記事があり、カリフォルニアで醸造を学ぶチャンスがあることを知って心が動きました」
ワインショップへ通ううちに、平林さん自身もいつしかワインの味わいに魅了されていた。「こんなにも人を惹きつけるワインとは何なのだろう?」と、それまでの生活をリセットしてデービス校を受験、見事入学を果たした。
だが、女性が異国のワイン業界で生きるのは、そうたやすいことではない。無事に大学こそ卒業したものの、行く手には多くの壁が立ちはだかった。特に大きかったのは体形の壁。ワインづくりの現場はポンプや樽の運搬など、とかく力仕事が多い。大柄な男性が多いアメリカにおいては、「小柄な日本人女性など戦力にならない」と判断されがちだ。面接に行くと、きゃしゃな体躯に驚かれることもしばしばだったという。
加えて、彼女を悩ませたのが理想と現実の相違だった。当時のカリフォルニアワインは、まだアルコール度数も高かった。将来、ここで自分が目指すスタイルのワインをつくれるのだろうか?――彼女はそう考えたという。「当時のカリフォルニアワインは、樽香が強いなど“オールドスタイル”全盛の時代。私が理想としたのは、テロワールを反映したエレガントなスタイルでしたから、どこのワイナリーで学べばいいのか、迷っていました」
そんな中で出会ったのが「リトライ」だ。20年ほど前からすでにビオディナミ農法を実施していた生産者で、ナチュラルな味わいのシャルドネやピノ・ノワールで高い評価を得ている。彼女はここで多くを学んだという。その後、のちに“ニューカリフォルニアの旗手のひとつ”と評される「マサイアソン」で経験を積み、2017年に自身のブランドを立ち上げるという夢を叶えた。
ファースト・ヴィンテージの2017年は、ブドウの質に定評あるナカイ・ヴィンヤードのシャルドネを使用し、ナパ・ヴァレーの醸造施設を借りてつくり上げた。今年9月にリリース予定の2018年は、「マサイアソン」のブドウをわけてもらうことができたという。「ありがたいことに、ブドウに恵まれました。生産数はまだまだ少量ですが、きちんとテロワールが生きた、おいしいワインをつくりたいと思っています」。その言葉どおり、ワインからはソノマの冷涼な空気を思わせる透明感のある酸味や、繊細な果実味がきちんと伝わってくる。
最後に、「シックス・クローヴズ」というワイナリー名の由来を尋ねると、こう教えてくれた。「江戸時代、祖父方の先祖が地元で長く続く味噌醤油屋で『丁子屋』と呼ばれ、『六丁子』を家紋としていました。幼い頃から父から話を聞き、“発酵”を身近に感じて育ってきましたから、ワインをつくる際にも自分のルーツを忘れたくはなかった。それで、『六丁子』の英訳をワイナリー名にしたのです」とほほえむ。
おそらく、「シックス・クローヴズ」は“日本人女性が異国でつくるワイン”というだけで話題になることだろう。だが、明言しておかねばならないのは、平林さんがつくるワインの質の高さだ。今は生産量も少なく、アイテムは現在はシャルドネ1種のみ。買いブドウで、醸造施設も共同だ。だからこそ、今後、彼女がさらなる実力をつけたとき、果たしてどんなワインが誕生するのか。気になって仕方がない。
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