TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA
晴天のもと、長崎の紺碧の空に吹く風は、いつか旅したヨーロッパの港町を思わせた。大浦天主堂の鐘が信徒発見150年という節目のミサの始まりを告げる中、司祭が白いローブを着て長い階段を登ってゆく。教会の中には朝の清々しい光が満ち、ステンドグラスの彩りをいっそう際立たせていた。
彩光に照らされた祭壇内陣の壁に飾られた一枚の絵画に、私の眼は釘づけになった。重厚な色調のその絵には、十字架に磔(はりつけ)にされた人々の姿が描かれていた。ある者は天に視線を向け、ある者はすでに絶命している壮絶で残酷なシーン。であるにも関わらず、どこか優美さすら感じるのは、磔にされた人々の篤い信仰ゆえだろうか。

大浦天主堂で行われた信徒発見記念ミサにはバチカンはじめ各国の神父たちが集った。潜伏時代を生きた信徒らの御霊が、このようすを天から見守っているようだった
大浦天主堂
住所:長崎県長崎市南山手町5-3
電話:095(823)2628
拝観時間:8:00~18:00(最終入館は17:30まで)
拝観料金:大人¥1,000、中高生¥400、小学生¥300
教会行事により不定休
パイプオルガンの音、司祭のお話、そして賛美歌。ミサが終わる頃、虹彩は絵の中から消えた。まるで天が演出を加えたようなひとときだった。絵の題は『日本二十六聖人西坂磔処刑の図』。じつは大浦天主堂は、この26聖人に捧げられた教会だ。教会入り口に立つ憂いを含んだ聖母マリアの祈りの手も、殉教の地、西坂に向けられているという。

慈しみと哀しみを含んだ表情の大浦天主堂のマリア像には、ほかに類を見ない美しさがある
1587年、豊臣秀吉はキリシタン禁教令を発布した。それに伴い信徒への棄教の強要、海外の神父の追放が行われることとなった。フランシスコ・ザビエルの日本来訪から38年の歳月が流れていた。京都で24名が拿捕(だほ)され、長崎まで徒歩で道中見せしめの旅路をとった。途中2名が加わり、計26名が西坂の丘で十字架に磔にされ絶命した。一行の中にはわずか12歳という少年もいた。集まった群衆に向かい、最後まで自分の信じる神の話を説いていたという。日本初の殉教者となった26聖人の逸話は西欧でも広く話題となった。今、西坂には「日本二十六聖人記念館」があり、美しい建造物の中に詳しい展示がされている。
今年、2018年7月には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に正式登録された。大浦天主堂もその12の構成資産のひとつに含まれている。最近では遠藤周作の名著『沈黙』がマーチン・スコセッシュ監督により映画化され、話題を呼んだ。信徒たちが聖書も神父も不在のまま400年の長きにわたり潜伏し、時に命を落とすことさえいとわず信仰への忠誠を貫いたという事実は世界にも例を見ない。

「日本二十六聖人記念館」前のレリーフ。この地で磔に処された26名が天に向かって祈る姿に心打たれる
日本二十六聖人記念館
住所:長崎市西坂町7-8
電話:095(822)6000
開館時間:9:00~17:00
観覧料:一般¥500
休館日:年末年始のみ
www.26martyrs.com
「信徒発見」とは、水面下で続けられた信仰が1865年3月17日、ついに日の目を見た歴史的瞬間でもあった。当時、開国とともに長崎に来訪し在住した外国人のために建造されたのが、大浦天主堂だった。その教会へ、浦上地区の潜伏キリシタン10数名が見学という名目で訪れる。その中の1人の女性が幼子のキリストを抱いたマリア像の御前にひざまずき、プチジャン神父に言った――「私の胸、あなたと同じ」。その言葉を受けた神父はすぐにバチカンへ伝え、奇跡のような話に世界が沸いた。
2015年、信徒発見の150周年の節目に、私は幸運にも列席の許可を得て大浦天主堂の撮影をした。幾世代にもわたり信じ抜く気概に感動を覚えながらも、その動機とは一体どういうものだったのだろう、と思いを馳せた。大浦天主堂には今も、信徒発見のときの聖母子像が飾られている。無垢な表情で両手を広げる幼子のキリストの姿は、何ぴとをも拒まない愛と許しを示している。キリストが生まれた日、すなわちクリスマス・シーズンには長崎の教会はイルミネーションに彩られ、教会でミニ・コンサートなどの特別イベントも開催されている。外来の参加者も信徒さんと触れ合うことができる、和やかな場だ。