国内外を旅して風景や人、土地の文化を撮影するフォトグラファー、飯田裕子。独自の視線で切り取った、旅の遺産ともいうべき記憶を写真と言葉でつづる連載、第4回

TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA

画像: 山の上の丸太小屋でオーロラ待機。外は満点の星空。音もなく現れるオーロラを根気強く待つ

山の上の丸太小屋でオーロラ待機。外は満点の星空。音もなく現れるオーロラを根気強く待つ

 オーロラ待機の徹夜に備え、まずは温泉に浸かった。極寒の露店風呂では湯気でまつ毛が樹氷のようになり、濡れタオルは一瞬で棒になった。野鳥もときおり温泉に飛んできて羽を休めていた。そして、いよいよ日が落ち夜がやってきた。カメラは室内との温度差で結露するので、ビニールで包み三脚ごと外に置く。自分は待機小屋に陣取り、アラスカの開拓者気分でビーフジャーキーとバーボンを片手に過ごした。

 初日も次の日も、うっすらと遠くの空が白んだように感じたが、オーロラと呼べるものではなかった。だが眼球も凍りそうな中、長時間露出で撮影すると、写真にはうっすらとオーロラらしきものが写っていた。肉眼ではほぼ確認できなかったが、微細な光をカメラは捉えていた。

画像: マイナス20度以下の露天風呂も、入ってしまえば極楽感はひとしお。野鳥も羽を休めにくる

マイナス20度以下の露天風呂も、入ってしまえば極楽感はひとしお。野鳥も羽を休めにくる

 オーロラの正体とは、太陽から電子プラズマが大量に放出され、その粒子が地球の極の上に空いた穴から流入した際、大気圏との摩擦で起きる現象。だから、太陽の活動が活発なときほど出現する機会が増えるという。たとえるなら、丸いガラスの鉢に水を満たし、上から絵の具を流し入れたような感じだろうか? 絵の具がやがて水に溶けて均一になるように、大気圏の隅々まで太陽エネルギーはゆき渡っていく。

 そのエネルギーはインドでは「プラナ」、中国では「気」と呼ばれるものではないだろうか。太陽の恩恵は、たとえ都市の室内で仕事をしていようと、ひと呼吸ごとにちゃんと含まれている。そう思うと、地球という星の不思議さと太陽のありがたさを感じずにはいられなかった。そんな不可視のエネルギーが、オーロラという現象で見える瞬間――。ふだんは気づかずにいた大きな摂理に出会う刹那こそ、旅の醍醐味と言える。

画像: アラスカの針葉樹林の空。発光するヴェールが夜空に舞う。3夜待ち続けた末の、喜びの邂逅

アラスカの針葉樹林の空。発光するヴェールが夜空に舞う。3夜待ち続けた末の、喜びの邂逅

 オーロラに出会えなかった徹夜明けの朝に食べる、たっぷりのアメリカン・ブレック・ファスト。暖かい暖炉の炎。浅煎りコーヒーのがぶ飲み。そして、睡眠と温泉。3日目の夜は、観察場所を変えて丘の上まで雪上車で登ることになった。待機用のテントの中でカメラの準備をしていると「出た~!」と歓声があがった。急いで三脚を立てる。針葉樹の森のシルエットの上に、緑色をした薄い布のように光のドレープが揺れていた。月明かりも太陽もない空に、しばらくのあいだ、それは神秘的に発光していた。

飯田裕子
写真家。1960年東京に生まれ、日本大学芸術学部写真学科に在学中より三木淳氏に師事。沖縄や南太平洋の島々、中国未開放地区の少数民族など、国内外の“ローカル”な土地の風景や人物、文化を多く被写体とし、旅とドキュメンタリーをテーマに雑誌、PR誌で撮影・執筆に携わる。現在は千葉県南房総をベースに各地を旅する日々。公式サイト

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