性をテーマにした刺激的なアートの数々は、今や70〜90歳代になる女性アーティストたちが手がけたものだ。彼女たちの作品が人々に認知されるまでに、なぜこれほどまでの時間がかかったのか?

BY RACHEL CORBETT, PHOTOGRAPHES BY DEAN KAUFMAN, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)

画像: ベティ・トンプキンズ。ニューヨークにある自身のスタジオにて

ベティ・トンプキンズ。ニューヨークにある自身のスタジオにて
 

 1945年生まれのベティ・トンプキンズは、「私は72歳で、一夜にして成功したの」という。ニューヨークにある彼女のスタジオは、1969年からベティが制作を続けている、性的挿入を写実的かつ超クロースアップで描いた絵画シリーズでいっぱいだ。どぎつい珍品として無視されるのはまだいいほうで、時にはかなり厳しい反応を受けたこともある。1973年、トンプキンズが展覧会のために2つの絵画をパリに輸送したときには、フランスの税関で作品が押収された。それはアーティストのキャリアに対する死刑宣告のようなものだ。今でもそうだが、どんなに挑戦的な企画を行うスペースも、顧客やマスコミを遠ざけるようなアーティストの展示に積極的になれるはずがない。「その後、私という存在はギャラリーにとって悪夢のようなものになったわ。若くて、女性で、しかも検閲されている」とトンプキンズ。しかし現在、パリのポンピドゥー・センターは、当時検閲に引っかかった作品のひとつを永久コレクションとして収蔵している。両脚のあいだから見た、ペニスにまたがる女性のクローズアップを切り取った作品だ。

 トンプキンズの作品が今も力を持ち続け、この時代に衝撃を与えるのは、性の直接的な表現だけが理由ではない。トンプキンズやバーンスタインや、それに連なる仲間たちの作品には、性欲、エゴ、皮肉、不敬といったものが渦巻いている。同世代のほかのフェミニストたちは、子宮や外陰部などの女性器を連想させる表現や、レース編みのような伝統的に女性が担ってきた工芸によって女性性を表現しようとしてきた。だが、彼女たちは男性と同じように、ショックと畏怖によって注目されることを意図しているのだ。

 明らかに勃起した男性器に似せたネジを描いたバーンスタインの巨大な作品は、去勢に対するある種の不安をかきたてる。「ある美術商の男性が言ってたわ。私の作品は、彼の世代の男性には不快感を与えるんだって」とバーンスタイン。1974年、ペンシルベニア州のフィラデルフィア市民センター美術館で開かれた女性作家展で、彼女の作品は美術館館長のジョン・ピエロンから「市の子どもたちに代わって、私は気分を害した」と非難を浴び、展示リストから削除された。

ファニタ・マクニーリーは1960年代末に、当時ニューヨークで最も古い画廊であったノードラー・ギャラリーの男性ディーラーに自分の作品のスライドを見せた。血を流す裸の女性を描いた過激な作品を見て、彼は女性が創作したものであるわけがないと断じた。別のギャラリーでは、マクニーリーは自分の作品であることを証明しようとキャンバスを持ち込んだが、作品を床に広げるや、ディーラーはそれを蹴散らしてその場を立ち去ったという。そのときもその後も、彼女の作品は声明的な行為であり、また存在自体が挑発的であり続けている。当時の美術やギャラリーはほぼ例外なく男性の領域であったため、その領土を侵されることに恐れを感じたのだろう。

画像: トンプキンズの1970年代の絵画のひとつ。 《CENSORED GRID #1》1974年。紙に鉛筆 COURTESY OF THE ARTIST AND P.P.O.W

トンプキンズの1970年代の絵画のひとつ。
《CENSORED GRID #1》1974年。紙に鉛筆
COURTESY OF THE ARTIST AND P.P.O.W
 

 こうした女性アーティストたちのほとんどは当時から、そして今も変わらずフェミニストを自称しているが、60〜70年代のラディカル・フェミニズムの時代でさえ、彼女たちの作品は常軌を逸したものとみなされてきた。ラディカル・フェミニズムは「すべてのポルノグラフィーは不平等な状況下で制作されている」と主張した弁護士でアクティビストのキャサリン・マッキノンらを思想的支柱にし、性的抑圧に関する政治的駆け引きに焦点をおいていた。一方、トンプキンズら女性アーティストは、ほかの女性たちにも評論家にも、ほかのアーティストにすら溶け込むことができず、居場所を見つけることがなかなかできなかった。というのも、マッキノンの反ポルノ的スタンスによって、フェミニズムと保守派の検閲官とのあいだに、短期的で不安定ではあったが一定の協力関係が生まれたからだ。

また、いわゆる「blood and guts(血と内臓)」系のアーティストたちが登場しはじめた頃、美術界は「ミニマリスム」と呼ばれる、ほとんど性とは無関係の、感情よりむしろ型を重要とするスタイルが主流だった。そのため、彼女たちのセクシャルでウェットで肉体的な美意識は、流行とはおよそかけ離れたものだった。むしろ、夫のポルノ雑誌から写真を切り取り、それをもとに写実的な絵画を創作していたトンプキンズを、フェミニストたちは男性の性的空想を助長するものだと批判した(「私は、当時のフェミニズム・アート運動の中では活動的ではなかった」とトンプキンズは言う。「活動する場が見つからなかったのです。誰もどこで集会が開かれているか、教えてくれなかった」)。

 現在75歳になるバーンスタインは、1972年に設立され、現在も活動を続ける女性だけの共同運営ギャラリー「A.I.R.」のメンバーだったが、やはり当時のフェミニズム・アート運動には受け入れてもらえなかったと感じている。「私は男性というもの、そしてその行動を観察していた。多くのフェミニストは、そのやり方をフェミニズムとは認めてくれなかったの」

 フェミニストたちをとりわけ憤慨させたのは、これらの女性アーティストの多くが異性愛者で、男性を欲望の対象としていたことだった。シルヴィア・スレイが1975年に描いた裸の若い男性のポートレートが、当時、郡庁舎にあったブロンクス・ミュージアムで展示された際、ある裁判官が「公的な郡庁舎の廊下に男性の裸が露骨に飾られている」と苦情を申し立てた。それを聞いた美術館のキュレーターは、同庁舎のエレベーターにずっと飾られていた「恥ずかしそうに布をまとい、胸をむき出しにした女性たち」に関してはなぜ苦情がないのか不思議に思ったとコメントしている。

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