国立新美術館で過去最大級の個展が開催されている草間彌生。オブセッションをアートという武器に変えた、その情熱の軌跡をたどる

BY YAYOI KOJIMA, EDITED BY JUN ISHIDA

画像: 2016年、制作中の草間彌生 。「何を描くかは、私の手に聞いて」。創作の神が宿っているのだろうか、湧き出ずる泉のごとく絵ができあがっていく © YAYOI KUSAMA

2016年、制作中の草間彌生 。「何を描くかは、私の手に聞いて」。創作の神が宿っているのだろうか、湧き出ずる泉のごとく絵ができあがっていく
© YAYOI KUSAMA

「世界で最も人気のあるアーティスト」(アート・ニュースペーパー紙)に選出された2014年、草間彌生の個展は中南米6都市、アジア5都市を巡回開催中だった。この年だけで観客数は200万人を超え、サンパウロの美術館では36時間も入場を待つ人々の列をさばくため、24時間開館に踏みきるという前代未聞の事態となった。歴史的な名画を観るわけではない。同時代に生きる一人のアーティストの作品を観たいと、人々がこれほど熱狂するのは異例だ。しかもそれが女性の、日本人のアーティストであることに、アート界の専門家たちも驚きと称賛の声を上げたのだった。

 2016年にはTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選出され、国内でも文化勲章を受章。今や歴史上、最も傑出した芸術家の一人であることは間違いないだろう。草間自身は、生涯をかけて芸術の道を極める姿勢を変えず、日々制作意欲を燃やして新作を描き続けている。驚異的なエネルギーだ。

 1929年、長野県に生まれた草間彌生は、裕福ながら複雑で保守的な旧家に育つ中で、幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされた。見るものすべてが水玉で覆われてしまう。犬や花が人間の言葉で話しかけてくる。恐怖から逃れるために、それらを絵に描いたという。必死で絵を描いている間だけ、恐れや悩みが消えていった。草間作品の代表的なモチーフである水玉は、草間にとって強迫であり、克服すべきものだった。

 絵を描いて生きていくという固い決意を胸に、単身渡米したのは1957年、28歳のとき。いまだ自由に海外旅行ができない時代のことだ。折しもニューヨークのアート界を席巻していたのは抽象表現主義の絵画で、売れない、食べられない日々が続いた。草間が描いていたのは、画面をびっしりと覆い尽くす網目である。全長10mに及ぶ巨大な白い網目絵画(ネット・ペインティング)を発表すると、それまで見たことのない前衛的な表現と絶賛された。

 水玉(ドット)と網目(ネット)とは、ネガとポジのように等しく、草間作品の中核をなすモチーフだ。「ピカソでもマチスでもなんでもこい。私はこの水玉一つで立ち向かってやる」(『無限の網―草間彌生自伝』より)

 草間は絵画や彫刻、その展示空間全体や、自分自身にも水玉を施す「自己消滅」(セルフ・オブリタレーション)のインスタレーションを、ハプニングという表現に発展させていく。 裸の男女に水玉をペイントするハプニングは、1960年代当時のフラワー・ムーブメント、ベトナム反戦運動の高まりの中で注目の的となり、草間は前衛芸術の女王となる。

 1980年代後半、アメリカを中心に草間芸術の再評価が進んだ頃から、部屋全体に水玉の大型バルーンを配したインスタレーションが見られるようになる。また、かぼちゃなど屋外のパブリックアートも多く制作。水玉は文字どおり草間のアイコンとなった。「私も水玉、あなたも水玉、すべての生命、地球さえもが、宇宙に浮かぶひとつの水玉」と草間は言う。それぞれ唯一無二の存在として、共存するのだと。かつての克服すべき強迫から表現という武器へ、そして愛のメッセージへ。草間の水玉は「永遠の魂」として、世界中に発信され続けるだろう。

写真でみる草間彌生のアーティスト人生

『草間彌生 わが永遠の魂』展
初期作品、ニューヨーク時代から圧巻の最新作「わが永遠の魂」約130点まで、草間彌生の全貌に迫る。無限の鏡の間を体感できる展示や、屋外には巨大なかぼちゃも出現する過去最大級の個展。国立新美術館にて、2017年5月22日(月)まで開催中。
会期:〜5月22日(月)火曜休(5月2日開館)
開館時間:10:00~18:00 ※金曜、GWは20時まで(入場は閉館30分前まで)
住所:東京都港区六本木7-22-2
料金:一般1,600円
電話:03(5777)8600(ハローダイヤル)

 

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