イタリアの町、イヴレーア。かつて、タイプライター製造業のオリベッティの城下町として栄えた。同社は労働者の権利を尊ぶ模範的な企業として、また先進的なデザインでその名を轟かせた。今、この町はひとつの教訓であると同時に、忘れ去られたユートピアの幻影でもある。――そして、人道的な労働を実現しようとした壮大な実験の証しでもあるのだ

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY NICK BALLÓN, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 トリノから北へ1時間ほど電車で行ったところにある町、イヴレーア。この小さな町は、1950年代に、生活と労働を融合させたかつてない実験の舞台となった。タイプライターと会計機器のデザインと製造で名を馳せたオリベッティが、社員たちの生活を一生面倒みると決めたのだった。社員たちは社の敷地内にある商業専門学校で授業を受ける機会を与えられていた。昼食時には、同社を訪れた著名人ら(俳優、音楽家、詩人など)によるスピーチや公演などの催しものが目白押しだった。また、社員が引退すると、高額の退職金が給付された。社員が希望すれば、オリベッティが建設したモダンな家やアパートメントに入居することもできた。社員の子どもたちのための無料の保育所があり、出産する女性社員には10カ月の産休が与えられた。

7月は夏期休暇で、近郊に住む社員たちは、その間、自宅で農作業に専念することができた。社員たちに、都市と郊外の間で引き裂かれるような感覚を抱かせないことが、同社にとっては重要だったのだ。オリベッティは、イタリア屈指のモダニスト建築家たちを雇い、モダニズム様式の社屋を建設した。工場、カフェテリア、オフィス、学習スペースは広々とした空間で、ガラスのカーテンのような壁とコンクリートの平らな屋根、ニス塗りされたレンガのタイルに囲まれていた。それは、イタリア、そして世界にとって、模範となる存在だった。

画像: イタリアのイヴレーアにあるラ・セッラ複合施設。イジニオ・カッパイとピエトロ・マイナルディスがデザインし、1976年にオープンした。施設内にはホテルや映画館があり、オリベッティ社員の社交の場でもあった

イタリアのイヴレーアにあるラ・セッラ複合施設。イジニオ・カッパイとピエトロ・マイナルディスがデザインし、1976年にオープンした。施設内にはホテルや映画館があり、オリベッティ社員の社交の場でもあった

 すべては、父から同社を受け継いだアドリアーノ・オリベッティの采配によるものだ。彼の父カミロは20世紀初頭に同社を設立した。アドリアーノは1901年に生まれ、事業家としては類い稀なほど博識で、ヒューマニズムに強く傾倒していた。彼は都市計画を独学で勉強し、当時の建築論文や都市論の文献を読みあさった。著名なデザイナーたちを雇って製品を作り、1949年発表の「レッテラ22」タイプライターや、1958年製の大型コンピュータ「エレア9003」などデザイン界のアイコンと称される製品を世に出した。

アドリアーノ・オリベッティは敬虔なクリスチャンであり社会主義者だったが、20世紀半ばのイタリアで対立していた二大政党、キリスト教民主党と共産党とは距離を置いていた。そのかわり、1946年に「モビメント・コミュニタ」という独自の政党を立ち上げた。イタリアの従来の政党の息がかかった官僚主義から主権を取り戻し、多様性のある社会基盤と、より包括的なコミュニティを実現させるのが目的だった。それは、イタリアという国にとってだけでなく、近代世界全体にとって新しい道筋を示す活動だった。その試みは失敗したが、彼の福祉増強のアイデアは、イタリア政治において、より一般的になり、受け入れられるようになっていった。

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