BY KATY WALDMAN, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA
ところが、二足のわらじを履く芸術家のなかに、こうした分類が当てはまらない人たちがいる。彼らの場合、ふたつの職業が予期せぬかたちで刺激し合い、その「仕事」が単に食いぶちを稼ぐための手段ではなく、実社会とつながるための役割を果たしているのだ。彼らにとっての仕事は睡眠やランニングと同じように、生きていくために必要なものを補ってくれる。創作に対する不安を和らげ、健全な肉体を保ち、世の中の出来事を自分の肌で感じられるようにしてくれる。そして、仕事はフィールドワークの場でもある。何げない日常のなかにインスピレーションを求めようとするアーティストにとって、副業は「へその緒」であり、人間の息遣いを感じる広々とした世界に、自分をしっかりとつなぎとめてくれる存在なのだ。仕事のために創作を中断しても、再開する頃には新たな素材が見つかっている。時間は失われるが、表現の幅や視野は広がり、アーティスト自身も別の生き方を手にすることができるというわけだ。
芸術を生みだす作業は、およそロマンティックとは言いがたい。取り組んでいる作品の真っ白なページから逃げ出したくても、受け身のままで唯一できることといったら気晴らしの対象を探すことしかない。手を休めたら、謎の成長ホルモンが湧いてきて創造力を高めてくれるに違いないと自分に言い聞かせながら。しかし、生活と芸術はたがいの「口直し」的な存在にとどまらず、もっと大きな役割を果たすと考える芸術家もいる。医者で詩人だったウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、自分のふたつの職業が不思議なほど融合しているのを感じていた。1967年に書かれた自伝のなかで、彼はこう振り返っている。「両者はいずれも私の人生をかたちづくる側面だ。単純に職業がふたつあるというのとはまったく違う。片方の仕事で疲弊したら、もう片方が癒やしてくれるのだ」。ウィリアムズは「自分の知識を素材として使う」と決め、医者としての経験を執筆に活かした。彼は患者が発する「言葉になっていないポエム」をキャッチするアンテナを磨いていったのである。
いったい、芸術と仕事のあいだの実際の関係とはどのようなものなのだろう? 相反する存在か? それとも補完し合うものか? しかしそもそもこの質問自体、創作の場はキラキラ輝く聖域のようなものだという前提で成り立っている。それは人々がタイムカードを押したり会議の予定を立てたりするような世俗的な職場からは離れたところにある、雲の上の空間なのだ。美の探求は世間一般の出来事とは異次元の世界として分類されており、芸術の女神がインスピレーションを与えてくれる創作というものは、泥臭い生産活動とはかけ離れたところにある、という仮定だ。
しかし絶妙なさじ加減によって、このふたつを隔てる境界線を曖昧にすることもできる。フランク・オハラの『LUNCHPOEMS』(1964年)は、躍動する街について巡らせた思いを、写象主義の流れをくむ自由形式で綴った詩の連作だ。この作品が愛される理由のひとつは、“仕事と生活のバランス”について明確に語っている点だろう。オハラが昼休みに書いたこの詩集のタイトルは、読み手もランチタイムに読んでほしいという誘いであり、いかにも走り書きした感じの文章からは、忙しい合間を縫って好きなことをする喜びが伝わってくる。クリエイティブな作業は自分の内面と静かに向き合う機会にもなるが、もしかしたらリッキー・ジャーヴェイス(職場を風刺したテレビドラマ『The Office』の脚本と演出を手がけたコメディアン)のジョークに匹敵する大ヒット作が生まれるかもしれない。
近著の回想録『Ants Among Elephants』でインドのカースト制度を掘り下げた作家スジャータ・ギドラは、2009年からニューヨークの地下鉄で車掌として働いている。彼女は私が最初の質問を切り出す前に、「私、物事をきちんと整理するのが苦手なんです」と話し始めた。「仕事と執筆を両立する大変さだけじゃなく、この点も頭に入れておいていただかないと」。通勤途中に作品の構想を練り、会社の休憩室でインタビューのテープ起こしをするのは骨が折れるが、ギドラは車掌の仕事を辞めるつもりはないという。「男性的なこの仕事が好き」と言うが、それだけではない。彼女は確固たる信念として「人は社会の生産活動に参加し、社会の役に立つべきである」と考えているのだ。それに車掌をやっていると世界中の人々と出会える(「リベリアから来た人にも会ったのよ」)。地下鉄という職場で、異文化にオープンな人々の自由な気風を存分に吸い込むこともできる。彼女は人と接することが好きなのだ。「執筆は孤独な作業。書いていて『ここが私の居場所』と感じることはないけれど、職場ではいやおうなく、誰かと言葉を交わさざるをえないんです」