才能と狂気、圧倒的な知識と批評眼をもつ、ファッション界の唯一無二の存在、カール・ラガーフェルド。作家のアンドリュー・オヘイガンがその素顔に迫る

BY ANDREW O'HAGAN, PORTRAIT BY JEAN-BAPTISTE MONDINO, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: カール・ラガーフェルド

カール・ラガーフェルド

 ファッションの歴史は、渇望の歴史だ。生まれつきスタイリッシュな人間などひとりもいない。誰もが少しは人の記憶に残るような特別な存在でいたい。自分ではない、別の誰かになりたい者もいる。いや、それよりむしろ、私たちの多くは、こうでありたい、と心の中でひそかに描いている自分像になりたいのである。

 文学や絵画や音楽と並んで、ファッションがその時代の社会の神髄を探求する道のひとつになって約100年がたつ。プルーストはその瞬間をとらえ、『失われた時を求めて』の中でこう表現している。ゲルマント公爵夫人のドレスは、「変えようと思えば自由に変えられるような、たまたま施された装飾ではない。天候や、または、一日のうち、ある一定の時間にしか見られない太陽の日差しのような、天から与えられた詩的な現実なのだ」。

 パリのサンジェルマン大通りからちょっと入った場所にあるカール・ラガーフェルドのアパルトマンで彼を待ちながら、私はこのプルーストの一節を思い出そうとしていた。午後1時をちょっと回ったところだったが、この部屋には時間を超越したような何かがある。ラガーフェルドは、この部屋で昼食をとるのが好きなのだ。窓にはブラインドがかかり、インテリアは灰色の陰影と鋭角的なアールデコ風の雰囲気に満ちている。ガラスは曇りひとつないまでに磨かれ、部屋には灯されているキャンドルの香りが漂う。テーブルの上にはそそり立つように置かれているジェフ・クーンズの彫刻があり、その横には1924年に公開された映画『人でなしの女』のポスターの元になった美しいドローイングがある。

 部屋の中でなんといってもいちばん目立つのが、大量の本だ。天井までの高さのタワーのような本棚に横に寝かせた形で本が積まれている。(古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとり)エウリピデスの『エレクトラ』、(フランスの劇作家)サミュエル・ベケットの手紙。『A Companion to Arthurian Literature』、そして(ギリシャの詩人、コンスタンディノス・)カヴァフィスの詩。さらに『Alice Faye : A Life Beyond the Silver Screen』。「経験がないってことが、私の問題なんだ」。ラガーフェルドが部屋に入ってきた。握手をし、私が「プルースト」という言葉を最初に口にするやいなや、彼はいきなり、ほとばしるようにエネルギー全開で話しはじめた。

「自分で覚えている限りは、私には過去はない。ほかの人にはあるのかもしれないが。個人的には、記憶することにエネルギーを使わないんだ。プルーストの言葉は好きだが、彼が書いた内容は好きじゃない。意地悪な言い方をしてしまえば、あれだよ、コンシェルジュの息子が社交界の人間たちをじっと見ているってだけの話だ。だが、そんな社交界の中から生き残った女性もいるんだ。銀行家の妻だったマダム・ポージュだ。この夫妻はプラザアテネ・ホテルの前に巨大なタウンハウスを所有していた。ちょうど今LVMHが建っている場所にね。彼女は社交界のほかの人間たちがこの世を去った後も、延々と生きていたんだ。彼女はあまり洗練されていなかったので、人々にこう言われていた。 『彼女は、彼女自身が属していなかった社交界という世界を覚えている最後のひとりだ』とね。名前は伏せておくが、あるクチュールのデザイナーなどは、以前私にこう言ったんだ。『プルーストが好きだ。だって、プルーストの作品のいちばんいい部分は、フランソワーズ・サガンがどうやって書くか彼に教えたんだからね』と」(サガンのペンネームはプルーストの『失われた時を求めて』の登場人物から取っている)

 多分、ラガーフェルドはイヴ・サンローランのことを示唆しているんだと思う。彼はちょっと沈黙してからこう言った。
「デザイナーが白テンの真っ白な毛皮に自らの身を包む瞬間というのがあってね。つまり、プルーストを実際に読んでるか、読んでいないのに、さも読んだかのように振る舞うってことだ」

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