才能と狂気、圧倒的な知識と批評眼をもつ、ファッション界の唯一無二の存在、カール・ラガーフェルド。作家のアンドリュー・オヘイガンがその素顔に迫る

BY ANDREW O'HAGAN, PORTRAIT BY JEAN-BAPTISTE MONDINO, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 ラガーフェルドは女性が大好きだが、女性を偏愛したり、ミューズを探し求めたりは決してしなかった。彼は知性あふれるデザイナーであり、女性に対しても、体型や外見よりも、人間としての生きざまを尊敬し称賛するタイプなのだ。女性たちへの彼の愛情は移り気なところもあるが、彼はともに想像力を無限に広げることのできる人間が好きなのだ。たとえばイネス・ド・ラ・フレサンジュや(ファッション・コンサルタントの)アマンダ・ハーレックのように。彼は強靱さと知性を味方につけたことで、固定観念を拒否する女性たちの心情を斟酌(しんしゃく)できる人間になったのだ。

 私は彼に、今、彼が理想とする完璧な女性像を尋ねた。彼は躊躇(ちゅうちょ)せずこう言った。
「ジュリアン・ムーアだ」
「なぜ?」
「わからない。ただ彼女は素晴らしいと思う。彼女の人生すべてが、彼女の生き方が素晴らしい。それと(女優の)ジェシカ・チャステイン、彼女も素敵だ。若い世代の中では、クリステン・スチュワートが大好きだ。彼女は才能がある。怖そうに見えるけど、彼女は実際は誰よりもやさしくてい
い人だよ」

 彼が母親のことを語る口調からも、ラガーフェルドは強い女性たちと接することに昔から慣れているのだとわかる。彼の周囲に今もいるのはそういう強い女性たちだ。
「フェミニズムはあなたにとって大切なものですか?」
「子どもの頃、男たちを過大評価するなと教わったんだ」と彼は言う。
「私の母はフェミニズムの歴史に興味があった。そして私は子どもの頃、ユダヤ系ドイツ人のフェミニストでベルリン在住の作家だったヘートヴィヒ・ドームの話を聞いたことがある。1870年代のドイツでは女性の権利は3つのKだけしかなかった。台所、教会、子どもの単語の頭文字を取った3Kだ。ドームの孫娘のカティアはのちに作家のトーマス・マンと結婚したんだ。誰も覚えちゃいないがね。みんな英国の婦人参政権論者のことは覚えているけど、いちばん最初に女性の権利を訴えたのはヘートヴィヒ・ドームだったんだ」

 ラガーフェルドは私が想像していた以上にドイツのことをたくさん話した。ドイツとはずっと前に決別した彼だったが、それでも彼の中にずっと残っているものがある。

 彼の父、オットーは米国所有だったドイツ乳製品メーカーのグリュックスクリーのCEOを務め、それ以降、一家の暮らしは非常に裕福になった。ドイツ北部のハンザ同盟都市の世界のバート・ブラムシュテットでカールは育った。今の彼が誰で、どんな存在になったかを考えると、あまりにも遠く離れた場所に感じられるが、逆にはるか彼方な土地だからこそ、彼の過去の中のドイツが透けて見えるのだ。故郷の価値観がいまだに彼をつかんで離さないのを私は感じた。彼の職業人生こそが過去への見事な拒絶ではないかと言う人もいるだろう。だが、拒絶しているということは、過去を認識しているということだ。人は嫌でたまらないものに深いつながりをもつこともあり得るのだ。ともあれ、彼のクリエイティビティは、今、それ自体がひとつの王国だ。そして彼はその創造性をシャネルに貸し出しているわけだ。

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