BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPH BY SHINSUKE SATO, PORTRAIT BY TOMOKO SHIMABUKURO
あなたはだしを引いていますか?
日本の家庭で今、味噌汁や煮物のためにだしを引く人は少ないだろう。そもそも、「だしを引く」という言葉の意味を明確に知っている人が、どのくらいいるだろうか。「だしを引く」には、「コトコト煮出したり絞ったりせずにうま味を引き出す」という意味が込められている。この言葉どおり、水に昆布をつけて火にかけ、沸騰する直前に引き上げ、鰹節を加えて漉すのが「昆布と鰹の一番だし」。日本料理の要となる。
今夏、日本を代表する料亭「京都吉兆」が、天然素材のみで仕上げた無添加のだしパックを発売した。商品名は「吉兆のだしー極みの濃いだしー」。原材料は厳選された国産の昆布と鰹節だけ。食塩や醬油も加えず、もちろん化学調味料、食品添加物、酵母エキスなども不使用。水400mlを沸かし、だしパック1袋を入れ中火で3分ほど煮出すだけで、うま味のある上品なだしができあがる。また、水500mlを沸かし、だしパック2袋を入れ3~5分煮出すと、よりうま味みの濃いだしに仕上がる。
天下の名料亭が作るだしといえば、「一番だし」に決まっているだろうと勝手に想像していたが、このパックのだしは一番だしではないのだという。一番だしに使った昆布と鰹節を煮出して、さらに追い鰹(鰹節をプラス)するものが二番だしだが、これとも違う。一番だしと二番だしのいいとこどり、というところだろうか。
「京都吉兆」総料理長・徳岡邦夫は、「ご家庭には一番だしは必要ないんです。野菜をコトコト煮たり、かやくごはんを炊いたり、茶碗蒸しを作ったりするには、繊細で淡い一番だしではなく、うま味のある濃いだしが合うのです」と言う。とはいえ、ただ濃いだけではない。確かにうま味たっぷりだが、後口すっきり、軽やかな味わいは、気軽なだしパックでとったとは思えない仕上がりだ。ここに到達するまでに5年の歳月を要したという。
最高峰の料亭がそもそもなぜ、だしパックを発売することになったのか。京都・嵐山の本店へ行けば、店で使っている本物の昆布や鰹節をお土産に買うことができる(筆者も一度購入したが、それはそれは素晴らしい逸品で、見よう見まねで引いても絶品のだしになった)。なのになぜ、パック?
徳岡は5年ほど前、鰹節専門の「株式会社にんべん」の高津克幸社長を紹介され、日本の伝統食文化であるだしを、きちんとした形で後世へ残していこうと意気投合した。「にんべん」が日本橋の「コレド室町2」に出店した「日本橋だし場 はなれ」(だしのうま味を生かした料理を提供するだし料理専門店)へ徳岡がレシピを提供したり、新商品の開発に携わったりする中で、「だしパック」を共同開発することになったのだという。
「どんなに素晴らしいものでも、その時代に受け入れられにくいものは淘汰されると、僕は思っているんです。だしもそう。今は、昆布や鰹節、いりこなどで引いただしの味を知らない子どもたちが多い。ライフスタイルが多様化しているいま、昆布や鰹節でいちいちだしを引きましょうとは言えません。ならば、利便性の高いもので本物の味を伝えたい。それなら、だしパックかなと」