かつて美術館には女性アーティストの作品がほとんどなかった。現代では彼女たちの作品のみならず、そのワードローブまでもが展示されているのはなぜか。今回、本誌のために5人のデザイナーが特別に作ってくれた、5人の女性作家へのオマージュをこめたワークウェアとともに

BY THESSALY LA FORCE, PHOTOGRAPHS BY KATJA MAYER, SET DESIGN BY JILL NICHOLLS, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 つまりこういうことだ。ドナルド・ジャッドとフリーダ・カーロを比べてもわかるとおり、私たちは、女性アーティストのパーソナルな側面に関心があり、彼女たちの生き方を作品にも投影してほしいと願っている。そして彼女たちの作品は“告白”であり、当然“自伝”でもあるはずだと考えているのだ。だがなかには、プライベートをいっさい明かさなかったアグネス・マーティンのように、自伝的な表現をかたくなに拒んだアーティストもいる(2016年のグッゲンハイム美術館における回顧展では、確かに彼女のワードローブは展示されなかった)。でも個人的な世界を語らずに、女性アーティストが世の中を変える方法などほかにあるのだろうか。自らの願いをかなえるために、そして女性がオブジェでも奴隷でもないことを主張するためには、これ以外に方法がないのではないか。カーロの眉や花の髪飾りといった外見的な特徴は、彼女の世界を語るうえでは取るに足らない要素だが、このスタイルがあったからこそ、その風貌に作品と同じ存在感を与えることができた。草間が好む風変わりな服や、カーロのベッドといった日常的に使うオブジェ自体にも、すでに象徴的な意味が込められている。ドレスはフェミニニティを、ベッドはセックスや病気、母性といったものを。

そしてそこには、別の意味も吹き込まれていく。彫刻家のルイーズ・ブルジョワは1991年に、自分がいらなくなったドレスやスリップ、ナイトウェアを飾った連作《セル》を発表した。生物の形態に似た、記憶にまとわりつくようなこれらの作品からは、“みなさんの見たいワードローブとこれらの服は種類が違うんですよ”というブルジョワの声が聞こえてきそうである。

 偉大なアーティストの人生には神話がつきものだ。だがその神話のせいで、芸術の価値を傷つけることもある。黄斑変性を患ってほぼ失明状態となり、援助なしでは絵を描けなくなっていたジョージア・オキーフは、ファッションのためにアートを供した。カルバン・クラインがニューメキシコ州にある彼女の家のひとつ「ゴーストランチ」で広告キャンペーンを撮影したのは、1984年のことだった。その写真の中では、クライン自身がオキーフ邸のマントルピースによりかかり、そこで出会った彼女に畏怖の念を表すように、あるいは“まさに神聖な体験だ”とでも言いたげに目を閉じている。クラインは本当にそう感じたのかもしれないが、それでもやはり、彼は触れてはならない大切な宝物に触れてしまった気がしてならない。

ジョージア・オキーフは1986年に息を引き取り、自身のワードローブを自身の家に寄贈した。そうしたのは彼女なりの考えがあったからで、感傷的な愛着が理由ではなかった。オキーフは彼女のワードローブを、芸術作品の一部としてみなしていたのだ。「絵画とは、人生を築き上げているあらゆる出来事のあらゆる理由をつらぬいている、一本の糸のようなものです」。1963年に、オキーフはそう綴っている。

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